なかなかとりかかれない。
いまは、足踏脱穀機やイノシシよけの電気柵が、
書庫としてつかっている部屋においてある。
部屋がごちゃごちゃしておちつかないし、
これでは書庫としての機能をはたさない。
脱穀機だけでなく、クワや長ぐつ、
草刈機などをおく場所が田んぼにあれば
ずいぶんすっきりするだろう。
冬をこし、やがて春になり、
もうすぐことしの米つくりがはじまってしまう。
本格的にうごきだすまえの段階で、
なんとか小屋づくりをおえておきたい。
ホームセンターで材料をかってくれば、
小屋をつくるのは そんなに手間はかからない。
ただ、最初のいっぽをきりだせないのだ。
なにかいいアイデアがないか、かんがえていたところ
むすこに丸なげするのをおもいついた。
高校の卒業式をおえたむすこは、
進学さきの広島へいく3月すえまで
とくになにをするわけでもなく、家でのんびりすごしている。
さいきん免許をとったばかりなので、
田んぼまでかよえば 運転の練習にもなるだろう。
わたしが車にのらない日は、むすこがつかってもいいから、
そのかわりに小屋をつくる、というのが
わたしがむすこにしめした交換条件だ。
わたしは大工仕事が得意ではなく、
わたしが小屋をつくったところで
どうせたいしたものはできない。
むすこだって きっとうまくはないだろうけど、
それだったら どちらがやってもたいした差はないのだから、
むすこにすべてまかすことにした。
いっしょにホームセンターへいき、
だいたいの材料をえらんで 田んぼまではこぶ。
たりないものがあったら 自分の判断でかうよう むすこにつたえた。
すべてをまかすのは、ひとをそだてるうえで効果的だといわれている。
丸なげではなく、進行状況をチェックしながら
必要におうじて アドバイスをいれたりするのだろうけど、
わたしの場合は まったくの丸なげだ。
でも、あんがいこういう体験が
ほんとうの教育なのでは、なんておもったりもする。
むすこが自発的にいいだしたのではなく、
まきこまれ型の体験というのが ちょっとよわい点だけど、
わたしが楽をして、むすこもすこしたのしめるとしたら
おたがいにいいとりひきではないか。
ものおき小屋づくりの丸なげに味をしめて、
今夜の夕ごはんづくりは むすこにたのんだ。
わたしがある会に出席することになり、
こんな場合、いつもだと夕ごはんを準備してでかけるのだけど、
家でのんびりすごす人間がなにもしないで、
はたらいているわたしが 夕ごはんの心配までするのは、
よくかんがえると まちがっている。
むすこには、カレーライスでいいから
なにかつくるようたのんだ。
カレーだけでなく、サラダやほかの料理があれば なおよい、
といったけど、それはあっさりかわされてしまった。
小屋づくりをきりだしたのが先週で、
きょうまでまだ1回しか作業をしていない。
基礎をおく場所の土をならして
たかさをそろえただけだという。
きょうはいい天気だったのに、田んぼにはいかなかった。
丸なげしてみまもるのも、
あんがい なにもしないためのちからがいる。
できればさいごまでわたしは手をださず、
むすこだけにまかせたい。
むすこが広島へいく今月すえまでに、小屋が完成するだろうか。
なんでもかんでも 丸なげされるのはかなわないと、
むすこがはやく家をでて、自立した人間になってくれたら
わたしはいちばんうれしい。
高校を卒業したら 家はもう自分がのんびりすごす場所ではないと
むすこが自覚するためにも、丸なげできる機会をいかしたい。
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