吾輩は猫である。名前はまだ無い。
よくしられている小説は、
かきだしもまた有名なものがおおい。
しかし、おわりの文章がどうだったかは
意外としられていないのではないか。
名作の「頭」ばかりが蝶よ花よともてはやされ、「お尻」が迫害されてきたのはなぜなのか。
「ラストがわかっちゃったら、読む楽しみが減る」
「主人公が結末でどうなるかなんて、読む前から知りたくない」(中略)
しかし、あえていいたい。それがなんぼのもんじゃい、と。
お尻がわかったくらいで興味が半減する本など、最初からたいした価値はないのである。(斉藤)
この本は、世界の名作を 以下の7つのジャンルにわけ、
おわりの文章にまとをしぼって紹介している。
・青春の群像
・女子の選択
・男子の生き方
・不思議が物語
・子どもの時間
・風土の研究
・家族の行方
おわりをよんで、はじめてかきだしの意味がわかる作品もあり、
たしかに「お尻」もまた その本にとってきわめて重要な部分だ。
「風土の研究」のなかに
梅棹忠夫さんの『文明の生態史観』がおさめられている。
『文明の生態史観』をかんたんに紹介すると、
日本とヨーロッパは、地理的・生態的な条件から、
平行に進化してきた、というものだ。
ユーラシア大陸をおもいっきり単純化して だえん形であらわすと、
左のはしがヨーロッパ、右のはしが日本になる。
このふたつを『文明の生態史観』では第一地とよび、
のこりの地域は ぜんぶ第二地域としてあつかう。
ユーラシア大陸の両端にへだてられた
日本とヨーロッパは、距離ははなれているけれど、
とてもよくにた発展をとげており、
それは地理的・生態的にみて必然だったと梅棹さんはとなえる。
日本とヨーロッパの国々との、
ちがいばかりをきかされてきたわたしにとって、
このふたつの文明が同質のものだという指摘は とても刺激的だった。
この『文明の生態史観』をうしろからよむと どうなるか。
できるだけはやい機会に、いってみたいとねがっている。
梅棹さんは、ヨーロッパに まだいったことがなかったのだ。
それにもかかわらず、
このような大胆な説をとなえた梅棹さんに
斉藤さんはおどろいている。
み、みてなかったのか欧州を・・・・。
おどろくというよりも、ずっこけたかんじだ。
そういわれたら、たしかにふつうの神経ではかけない。
『文明の生態史観』の「お尻」もすごいけど、
かきだしもまた 非常に印象的だ。
トインビーという人がやってきた。歴史家として、たいへんえらい人だということだ。その著書は、いくつか翻訳がでているので、わたしも、そのうちの二つをよんだ。
わたしがわざとひらがなのおおい部分をえらんだのではない。
有名な論文が、ほんとうに このかきだしで はじまっているのだ。
論文といえば、むつかしい漢字をたくさんつかい、
専門性をふりかざした 特殊な文章だとおもっていたら、
梅棹さんの『文明の生態史観』は
このかきだしにみられるとおり、
まったくそうではなかった。
本書で「お尻」ばかりをよんでみると、
意味のよくわからない おわり方の本が
あんがいおおいのに気づく。
すべての謎があきらかになり、すっきりした気もちで
本をとじれるものばかりではない。
ラストに注目し、なぜそうしたおわり方になったのかを
説明してくれるこの本は、興味ぶかい読書となった。
それでは、この本はどんなおわり方がとられているだろうか。
とくにかわってはいないけれど、
もっともらしくないぶん いいおわり方だ。
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