なじみのスリランカ料理の店へ。
仕事としての余暇支援ではなく、
純粋に「友だち」としてのつきあいだ。
わたしとHさんの両方が、そのスリランカ料理の店を気にいっており、
おいしくたべて おしゃべりもたのしめることから、
半年にいちどくらいのわりあいで いっしょにでかけている。
スリランカ料理といっても、とくにきどったお店ではなく、
スリランカの家庭料理は こんなかんじだろう、とおもえるような、
季節の野菜をつかった さりげないカレーをたべさせてくれる。
ところが 今夜たずねると、営業日が変則的になっており、
月曜日の午後はうどん屋さんにかわっていた。
そこらへんのこまかい事情はよくわからないけど、
うどん屋さんの店長は、スリランカ料理店とおなじひとだ。
うどん屋をするときは、スリランカ料理の店の となりの店をあけ、
うどん屋さんだけの営業となる。
カレーをたべるつもりででかけたのに、
きゅうにうどんといわれても、なかなかからだが対応できない。
それでも、料理をたべるだけでなく、
お店をたずねる理由の半分くらいは
お店のひとにあいたいからなので、
スリランカ料理をあきらめ うどん屋さんにはいる。
お店はレトロな雰囲気をコンセプトに、
ブラウン管のちいさなテレビがおかれ、
あかりには 暖色系の白熱灯がつかわれている。
たまたまナツメロの番組をやっていたこともあり、
お店のなかはすっかり昭和調だ。
うどんをすするのには ふさわしい演出かもしれない。
わたしにつきあってくれたHさんは、
店長や お手つだいの女性との おしゃべりが目あてだ。
はじめはお店がすいていて、
むかしのテレビ番組などを話題に 機嫌よくはなしかけていたけど、
そのうちお客さんでカウンターがいっぱいになる。
どうもHさんは商売繁盛の福の神のようで、
今夜だけでなく Hさんさんといく日は
しばしばこういうことがおきる。
店長が本格的にいそがしくなってきたので、
Hさんとしては不本意なはやい時間に われわれは店をあとにした。
Hさんがつぎにまわったのは、ちかくの駅にある足湯だ。
足湯をたのしみたい、というよりも、
パターン化したうごきを なぞりたい傾向がHさんにはあり、
わたしとしても そこがHさんといっしょにであるく
たのしさでもある。
Hさんといっしょにでかけなければ、夜に足湯なんて ふつうしない。
いそがしさで うるおいのない生活になっているとき、
Hさんといっしょにいるだけで 時間のながれがかわってくる。
足湯をおえ、Hさんを家までおくりに 夜道をあるく。
わたしとHさんだけをのこして 世界がおわったみたいに 町がしずかだ。
島根ではよくあることで、夜8時をすぎた松江の町は、
鷹の爪カレンダーの自虐ギャグになるくらい
(「夜7時を過ぎても明るい町づくり。」など)、
ひとどおりがすくない。
あわただしくすぎた きょういちにちの あんなこと、こんなことが、
Hさんといっしょにすごしたおかげで、みごとにリセットされた。
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