「大和撫子の誇り」として
サッカー女子日本代表をとりあげている。
東日本大震災の年に行われたサッカー女子Wカップで、本当に彼女たちは国は背負って戦っていた。(中略)わたしには、彼女たちほどわたしたちの落胆を引き受けてくれた存在はないように思えた。そして勇気づけてくれた存在はないように思えた。(中略)
今はただ、本当にどうもありがとうと言いたい。そして待ち望んでいる。彼女たちが再び世界に出ていけることを信じて待っている。
そうだった。
2011年の夏、東日本大震災によるおもくるしい空気のなかで、
彼女たちのひたむきなプレーが
どれだけちからをあたえてくれたことか。
よく「被災地の方々に勇気をあたえたい」なんていうけど、
ほんとうに それだけのプレーをするのは かんたんではない。
女子代表の試合は、まさしく みるものをふるいたたせた。
彼女たちの活躍がなかったら、あの年の日本は
もっとつらい状況になっていただろう。
それなのにわたしは すっかり感謝の気もちをわすれ、
オリンピック予選で なでしこらしさを発揮できなかった
代表チームにたいし、えらそうに批判めいた感想をのべた。
リオオリンピックに女子代表が参加できないと きまったとき、
おおくのサッカー関係者は技術的な問題点を指摘した。
戦術的なあやまちや、世代交代のおくれ、監督の選手起用など、
うまくいかなかった点がいくつもあり、
それらを批判するのはかんたんだった。
しかし、そんななかでも 彼女たちへの感謝をわすれずに、
声援をおくりつづけたファンもおおかった。
サッカージャーナリストの江橋よしのり氏が、
アジア最終予選をふりかえったとき、
「観客からの温かい激励」が予想外だったとのべている。
http://sports.yahoo.co.jp/column/detail/201603100002-spnavi
なでしこジャパンが近い将来、再び世界の頂点を争う日を迎える時、きっと多くの人が今大会を支えた観客たちを思い出すだろう。そして世界中が「日本はブーイングではなく、寄り添う心で選手を育てた」という物語を、尊敬とともに語らうことだろう。
キャプテンの宮間選手は女子サッカーを文化にしたいとねがい、
オリンピック予選の敗退では、
「もうしわけない」をくりかえした。
そんななかでの「観客からの温かい激励」は、
おおくのひとたちが女子代表への感謝を
わすれていないことがあらわれている。
文化として根づいたかどうかは、選手たちの責任というよりも、
2011年にちからをあたえられた
わたしたちがためされているといえる。
オリンピック予選にやぶれた女子サッカーは、
すでに今シーズンのリーグをたたかっている。
彼女たちのあらたなスタートに声援をおくりたい。
彼女たちへの感謝をわすれず、
「寄り添う心で」これからの再建を応援したい。
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