2016年04月15日

「すき」は説明できるけど、「きらい」に理由はない

鷲田清一さんが、毎日ひとつずつ 含蓄のある
「折々のことば」を紹介する欄(朝日新聞)に、
ビートたけしさんの
僕は好きな理由など考えない
好きな理由がわかったら
嫌いな所も見つけてしまうから

ということばがのった。

なにかを「すき」になったとき、
ああだこうだとその理由をさがしだそうとせずに、
ただ「すき」という状態のまま そっとしておく、
という意味だろうけど、
「好きな理由がわかったら
嫌いな所も見つけてしまうから」
がよくわからない。

わたしは、「すき」なのは説明できるけれど、
「きらい」に理由はない、と、
なにかにつけて いいちらかしてきた。
たとえば、わたしはほしブドウがきらいで、
給食のレーズンパンに苦労したものだけど、
なぜほしブドウがきらいかの説明はできない。
このみの問題について、「きらい」は
ただ「きらい」としかいいようがない。
かんだときの感触がきもちわるい、とか
口のなかでへんな味がひろがる、とかいったって、
それはあくまで個人的な理由にすぎず、
なぜそれがいやなのかは 説明できない。

どうしてもすきになれないひとが
わたしには 何人かいるけど、
そのひとたちについても、なぜきらいかの説明はむつかしい。
わたしのコンプレックスとむすびつき、
わたしにないものをもっているからかもしれないし、
わたしとよくにすぎているから、きらうのかもしれない。
いずれにしても、そのおおくは生理的な嫌悪感であり、
理由がわかったからといって、
きらいな心理が 解消されたりはしない。

「すき」については 説明できる。
なぜすきなのかを、じっくりかんがえると
なぜ自分がそれにひかれるのかが うかびあがってくる。
そうやって「すき」を分析することへの ためらいを、
たけしさんが口にするのもわかるけど、
「すき」はどんどんさぐっていけばいい。
「すき」がわかったからといって、
すきの反対がきらいではないのだから、
「嫌いなところ」がみつかったりはしない。
たけしさんがいうともっともらしいけど、
たけしさんのことだから、ほんとうにそうおもって
この発言をしたのかどうかはわからない。
たとえばすきなアニメについて、
なぜ「すき」なのかがわかったら、
きらいなところもみつけてしまうことになるのか、
わたしにはよくわからない。

くりかえしよんでいたら、このことばは、
異性をすきになったときのこころえ かもしれないと
おもえてきた。
すきになったひとについて、「なぜ」をさぐるのは、
たしかに「嫌い」の発見につながるかもしれない。
ほしブドウやアニメではなく、
恋愛感情についてのはなしなのだこれは。

しかし、ではなぜ恋愛とたべものはちがうのだろう。
異性への「すき」は「きらい」の発見につながり、
ほしブドウの「きらい」は「すき」の反対でないのかが
宿題となった。

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posted by カルピス at 22:57 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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