しろうとがついつくりがちな広告として
「夏こそ◯◯!」をあげていた。
「夏こそひやし中華!」
みたいに、
「夏こそ」は なんにでもくっついて、それらしくなる。
「夏こそ」のような芸のないコピーを、
山藤さんはからかっていた。
たしかに、「夏こそ」は どんなことばともくっつく。
「夏こそラーメン!」
「夏こそカレー!」
「夏こそダイエット!」
「夏こそスマホ!」
なにをつけても、なんとなく意味がつうじる(ような気がする)。
これが冬や秋だとこうはいかない。
「冬こそスマホ!」では、
そのうらにひそむ ふかい意味をかんがえてしまう。
あかるさがなく、ひたすらおもい。
夏だからこそいきてくる「夏こそ◯◯!」だ。
「スポーツの秋」に代表される、
「◯◯の秋」も、「夏こそ」によくにている。
秋にむすびつけたら、なんでもすんなりとおる。
「マンガの秋」
「アルバイトの秋」
「ガンダムの秋」
「犬ぞりレースの秋」
「◯◯の」とむすびつけると秋は最強だ。
どんなことばものみこんでしまうほど
ふところのふかさがきわだつ。
ほかの季節がマネをしてもうまくいかない。
読書や食欲、それに文化も、秋でなければおさまりがわるい。
あえて「読書の冬」といっても、むりやり感がつよい。
ひねったさきの おとしどころをしりたくなる。
でも、よくかんがえてみると、
耳になじんだことばのおおくは 季節と関係がない。
けっきょく、季節についていわれていることばは、
どれもたいして根拠はなく、ようするになれの問題だ。
よくしたしんでいることばとくっついても、
わかったような気がするだけで、
じっくり意味をたしかめると わけがわからない。
「文化の秋」って、いったいなんのことだ。
「食欲の秋」だって、こじつけにすぎない。
季節をうたった便利すぎることばを、
もうすこしうたがったほうがいいのではないか。
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