(高野秀行・新潮社)
アジアの納豆といえば、照葉樹林文化論だろう。
日本の縄文時代には、中国の雲南省からヒマラヤにかけて、
お茶やツバキなど、表面がてかてかした
常緑の広葉樹林(照葉樹林)がひろがっていた。
その地域では、お茶・コウジ・納豆・モチなどをこのむ、
日本とおなじような文化がみられると、
植物学者の中尾佐助氏によって
発表されたのが照葉樹林文化論だ。
西日本もかつては照葉樹林がおいしげり、
ヒマラヤや雲南省にくらす民族と共通の文化がみられるという。
縄文時代における農耕の可能性とかさなり、
ロマンチックで壮大なイメージを刺激される。
アジア納豆と日本の納豆は、
おなじ照葉樹林文化にぞくするのだから、
アジアと日本におなじような納豆があったからといって、
なんの不思議もない。
高野さんは なにをいまさらアジアの納豆なんていいだしたのだろう。
でもまあだいすきな高野さんなので、つきあって本書をもとめた。
よみはじめても、照葉樹林文化の説明はみあたらない。
「照葉樹林文化」ということばをさがして
ざっと目をとおすけど、いつまでもでてこない。
350ページの本書にあって、323ページめでようやく
「照葉樹林文化」の語句が顔をみせた。
高野さんは、照葉樹林文化論では
納豆をよくたべる地域を説明できないとして、
否定的なかんがえ方をしめしている。
本書は、照葉樹林文化論とはべつな視点から、
じっさいに納豆をつくり・たべている
ひとたちへの取材をつうじて、
納豆の起源と発祥について仮説をたてている。
日本人は、納豆をたべるのは日本人だけだとおもっているし、
かりにほかの国に納豆とよくにた発酵食品があっても、
それは日本の納豆と根本的に別ものときめつけている。
糸をつよくひくのがよい納豆で、
納豆菌はワラのなかだけにすみ、
納豆特有のにおいがなければほんものの納豆ではなく・・・。
高野さんは、ミャンマー・ネパール・中国、
そして日本での取材により、
これまでおもいこんできた納豆の常識をぜんぶひっくりかえす。
納豆の起源について、納豆が基本的に
山の民によってつくられてきた歴史から、
醤油にかわるダシとしての役割をはたしてきたと 高野さんは指摘する。
醤油や魚醤(ナンプラーやニョクマム)があるところは
納豆のうまみを必要としない。
肉や油がかんたんに手にはいらないからこそ
納豆がもとめられたのだ。
日本でも、納豆をよくたべていた村では、
納豆といえば納豆汁であり、
納豆汁はダシをとらず納豆だけのうまみでつくっていた。
納豆発祥の地についても、
納豆は実に簡単にできる食べ物だ。(中略)いろいろな場所でいろいろは時期に作られるようになり、いったん作られると、近隣の民族にも「お、これ、なかなか美味いな」という調子で伝わっていったのではないか。
煮豆が発酵してしまい、たべてみたらうまかった、
というのが納豆の「おこり」であり、
そんな納豆にはっきりした「発祥の地」は特定できない、
というのが高野さんのかんがえ方だ。
わたしは、納豆について、しっているようで なにもしらなかった。
おおくの日本人もまた、わたしとおなじかんちがいをしている。
これだけポピュラーなたべものなのに、
なぜこんなに理解されてなかったのか ほんとうに不思議だ。
わたしがすきな照葉樹林文化論は否定してあるけれど、
現場での取材をつみあげて 納豆の核心にせまった
迫力のあるノンフィクションとなっている。
日本で納豆をよくたべるのが東北地方と、
照葉樹林文化帯でないだけが問題なのだから、
九州あたりでアジア納豆とおなじ納豆がつくられていたら、
照葉樹林文化論は否定できない。
高野さんによるこれからのさらなる調査をまちたい。
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