2016年08月22日

50キロ競歩の ダンフィー選手の発言にしびれる

ほぼ日の「観たぞ リオオリンピック!」に、
カナダのダンフィー選手の
コメントが紹介されていた。
50キロ競歩で日本の新井選手につぎ4位となったひとだ。
新井選手は、いったんは接触による失格となったものの、
日本陸連の抗議がみとめられ、
最終的には新井選手が3位、ダンフィー選手は4位となった。
ダンフィー選手にも抗議する権利はあったのに、
審判の判断を そのままうけいれている。

「わたしの抗議が受け入れられたとしても、
 (今回の最終判断が正しいと信じている)」とし、
わたしは自分自身を、
外部からの賞賛によってではなく、
自分の誠実性によって定義したいのだ

競歩競技のルールや、
レースにおける一般的な常識を
わたしはなにもしらないけれど、
ダンフィー選手の発言にしびれた。
やるだけやったひとだから、
結果だけに執着しないで、
客観的に競技と自分をとらえられるのだろう。

がんばった結果としての金メダルや、
もういっぽとどかなかった銀メダルなど、
メダルをめぐってドラマがかたられやすいなかで、
3位になる可能性を手ばなしても
ダンフィー選手は自分の誠実性を大切にした。
日本人的な価値観では、
だめもとで とりあえず抗議してみて、
うまくみとめられたらもうけもの、
みたいなところがある。
自分の主張とはしないで、状況や場に判断をあずける。
ダンフィー選手は、あくまでも
「個」としての自分の判断をとおしている。
いいわるいではなく、文化のちがいともいえるだろう。
自分のよさはまわりがきめるのではなく、
自分が自分らしくあることを大切にする。

2週間以上にわたってたのしませてくれた
「観たぞリオオリンピック!」も、
あすがとうとう最終日だ。
夏のオリンピックは種目がおおすぎて、
とてもぜんぶの競技には目をくばれなかった。
だからこそ、「観たぞ」のありがたさがひかる。
選手たちの真剣さのまえに、
あーおもしろかった、というよりも、
いいものをみさせてもらったという感謝の気もちがつよい。
ただ、そればかりいってると、
がんばりばかりをおいもとめてしまう。
かざとおしのいい、自由な雰囲気をわすれないために、
「観たぞ」のやわらかさがバランスをとってくれる。

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posted by カルピス at 22:21 | Comment(0) | TrackBack(0) | スポーツ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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