郵便書簡(アエログラムみたいなタイプ)に
黄色の色鉛筆でかいてある。
いつも色鉛筆なわけではなく、今回がはじめてだ。
とくに意味もなく色鉛筆で手紙をかくようなひとなのだ。
郵便書簡にすると、82円かかるはずの手紙が
62円でだせるらしい。
節約にはなるけど、色鉛筆なんかでかいてあると
こまかい字でびっしり、というわけにいかず、
文字量としては ペンでかく手紙よりもすくなくなる。
なによりも、黄色の色鉛筆なんて、
手紙としてすごくよみにくい。
色鉛筆でかきなぐり、
誤字は青色のボールペンで訂正してある。
一般的にいえばかなり失礼な手紙といえるだろう。
いかにも 精神的にいかれた人間がかきそうな手紙だ。
手紙をひらいたときには、
友人が精神的においつめられた状態なのかとおもった。
よんでみると、ふつうに近況がかかれている。
この友人がまえにくれた手紙で、
親の世代は金をもっているのだから、
その子ども世代は むりしてはたらかずに
親に車をかってもらっても ぜんぜんかまわない、とあった。
地球全体をかんがえると、必要ないのにはたらくよりも
むしろ親のお金を積極的につかったほうがいい、
というかんがえだ。
かなり極端な論理であり、
わたしはすごい反発をおぼえた。
友人が個人的に親から車をかってもらうぶんにはいいとしても、
それを一般論にまではひろげられない。
わたしはそんなことをしたくないし、
しているひとを尊敬できない。
とはいえ、自分の生活や意識のなかに、
親の存在をあてにしているところもたしかにあり、
すっきりした返事をかけないまま グズグズしていた。
つよい反発をおぼえるのは、
いたいところをつかれた うらがえともいえる。
黄色の色鉛筆という非常識な手紙をかけるのは、
それだけ なにかにとらわたりせず、
自由な精神でいるのかもしれない。
4月からバスの運転手という職につき、
だんだん仕事になれたところだという。
わたしにとって かずすくない友人なので
できればすえながくつきあいたいけど、
メールや手紙でのやりとりは、
どうしても理屈がさきにたち いいあいになってしまう。
とおくにすむ友人なので、
かんたんに いったりきたりもできない。
こういう友人とは、電話でのつきあいが
あんがいすっきりする。
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