精神的な引きこもり体質だと、
ご自分を分析されている。
http://kankodori.net/travel/011/041/index.html
雨脚が若干弱まったようなので教会からのっそり出てみると、ちょうどジャンさん達も出発する所であった。私が彼らを避けて休憩していたと彼らの目には写っ たのだろう、ジャンさんはやや悲しそうな、そして若干の非難を込めた感じの口調で「Join me」と言った。いやはや、返す言葉もありません。私は改めて、自分が精神的な引きこもり体質なのだなぁと実感した。どうも、なかなか人の懐に飛び込んで 行く事ができないのだ。まったく、困ったものである。
わたしも、まさしくおなじ性格で、
どうしてもひとの輪にはいりにくい。
外国を旅行していると、
日本にいるよりも かなり素直にふるまえるけど、
それでもひとめをさけたうごきをとりがちだ。
陽気なひとばかりにみえるアメリカ人でさえ、
自分はひとみしりというひとがおおいそうで、
ましてや日本人のほとんどは
自分がひとみしりのほうだとおもっている。
ひとみしりだろがなんだろうが、
ある程度のまじわりは 社交や礼儀として
だれもがはたさなければならない。
それがわかっていて できないのだから ストレスになる。
ときどきみんながあつまって
朝ごはんをたべるタイプのゲストハウスがあり、
お腹がすいているから わたしもすわるのだけど、
ことばの壁もあって うちとけた気もちになれずういてしまう。
ひとりでボソボソとたべてるほうが よほど気がらくだ。
根っから陽気なひとなんてごくわずかで、
旅行記や探検記をよむと、
内気な性格なひともおおい。
大切なのは、内気か陽気かではなく、
相手にたいし、どれだけこころをひらけるかであり、
口かずがすくなくても、はずかしがりやでも関係なく、
けっきょくは人間性にかかっている。
つまり、これまでどう生きてきたか、だ。
わたしの旅行がうすっぺらになりがちなのは、
それだけのつみあげしかないからという
身もフタもないはなしになってしまう。
でも、それがあたりまえだ。
旅行にでかけたからといって、
なにかがきゅうにかわるわけがない。
とはいえ、自分をころしてでも
まわりにあわせなければならないわけではない。
どうしても ひとといっしょにいたくないときは
だれだってあると、わりきればいい。
マダムは「あなたの分の食事も用意しているから食堂に来なさい」と言う。「みんな、あなたが到着するのを待っていたのよ」とも言っていた。しかし、私は食堂に行く気にも宿の食事を食べる気にもなれなかった。
こうしたいじけた心理は わたしにもよくおとづれる。
腹をたてるのは、なにかをおそれるよりも、
前むきな姿勢ではないだろうか。
はじめはまわりにたいして腹をたてていても、
しだいに 自分のいたらなさに気づいてくる。
いかりは せめの気もちをおもいださせる。
まったく関係ないはなしだけど、
木村さんがときどき夕ごはんの写真をのせている。
自分でゆでたスパゲッティに、
缶詰のトマトソースをかけただけのもの。
カマンベールチーズがあったりなかったり、
といった質素な夕ごはんだ。
しかし、その量がすごい。
スパゲッティのお皿は、
乾燥メンで300グラムはあるだろう。
そしてワインを1本(寝酒もかねて)。
いちにちをとおしてよくあるいたのだから
お腹はすくだろうけど、
これだけの量をおさめる健康な胃袋がうらやましい。
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