2016年11月25日

わたしが冬ごもりまえのリスだったら

さむくなってきたので、
ガソリンスタンドへ灯油をかいにいく。
ガソリンも3000円分いれた。
畑にもよって 大豆をほすのにつかっていた柵をかたづける。
なんだか冬をむかえる準備がはかどったようで気もちいい。
わたしがもしリスなら、冬ごもりの準備については優等生のはずだ。
秋になると おおすぎるぐらいのドングリをあつめて
秘密のかくし穴へしまいこむだろう。

そういえば、動物はタスク管理なんてしなくても、
ちゃんと冬をむかえる準備にとりかかる。
そもそも野性動物は、生きるというだけでも大変なのに、
タスク管理やチェックリストをつかわなくても
クマやリスは冬をまえにすると脂肪をためこむそうだし、
わたり鳥は南へとびたつための準備をはじめる。
人間は、やらなければならないとわかっていても、
さきおくりしたい誘惑にまけて
なかなかうごきだせなかったりする。
人類が自然からはなれ、人間へと進化する過程のどこかで、
グズグズしたままでいる快感をおぼえた。

わたしはきょうのところでは すんなり腰をあげられた。
ほかの仕事だとこうはいかないのに、
「ためこむ」ことについてだけは、
リスでなくても わたしは優秀なのではないか。
冬の準備としては、安直に灯油をかうのではなく、
家のまわりにずらーっとマキをつみあげたいところだ。
わたしが農業に関心をむけるのも、
きっと「ためこむ」ことと関係している。

ひと冬ぶんのマキでは なんだか心配なので、
2年分くらいためこむと やっと安心できる。
お金もたくさんあるのがすきだけど、
すきだからといって
お金がわたしのちかくにとどまってくれるとはかぎらない。
マキなら 骨おしみせずにオノをふりおろせば、
だんだんとふえていくのが目でみてわかる。

倉庫に食糧がたんまりたくわっている安心感を、
わたしはたぶん
『ロビンソン・クルーソー』の読書によって意識しだした。
ロビンソンは、猟で獲物をとらえる不安定なくらしよりも、
ヤギを牧場ではなしがいにし、
いつでも肉が手にはいる生活をのぞんだ。
わたしがもし無人島へながされたら、
きっとロビンソンのように、勤勉なくらしぶりで日々をすごしながら、
すこしずつものをためこんで なにかのときにそなえただろう。
そんな生活をつづけると、結果として資本がたまり、
資本があつまると資本主義経済がめばえるらしい。
わたしは自分が勤勉だとおもったことはないけれど、
ためこみについてだけは素質があるような気がする。
産業革命まえのイギリスにうまれたら、
わたしは主流派として いきいきとくらしていただろう。

スポンサードリンク



posted by カルピス at 21:35 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック