ボジョレー・ヌーボーをくばったと
しりあいにはなしたら、
「宅急便のたいへんさがわかったでしょう?」といわれた。
あそびとしての「仮装」にばかり気がとられ、
ほんものの宅急便の苦労を、かんがえてもみなかった。
たしかに ちょっと想像しただけで、
ゾロゾロとたいへんそうな問題がでてくる。
わたしがボジョレーをくばったのは 8件のお宅でしかないし、
あらかじめスマホで地図をしらべていたので、
1時間ちょっとでくばりおえている。
そもそも会員さんなのだから、
もともと家をしっているひとのほうがおおい。
でも、宅急便の仕事となると、せっかく家に配達しても、
だれもおられないときがめずらしくないだろうし、
不在通知をのこし、しばらくあとにまたとどけても、
それでもらえるお金がふえるわけでもない。
わたしがボジョレーをとどけたら、
どのお宅でもあたたかく歓迎してくれたけど、
ほんものの宅急便がこられたら、
いいとこ「おつかれさま」くらいで、
こころのふれあいなど 夢みたいなはなしだ。
いくら宅配便の会社が「まごころをとどける」
みたいなことをいっても、現場ではあたたかなできごとなど
ほとんどおきないのではないか。
宅急便をおくれば、つぎの日に荷物がとどくのを
あたりまえだとおもっているけど、
そんな国はきっとごくかぎられている。
時間を指定したり、生ものでも大丈夫だったりと、
いたりつくせりとは 日本の宅急便のことだ。
ゆるく生きているわたしは、
荷物が1週間さきにとどいても ぜんぜん問題ないけれど、
いまや日本の社会は、宅急便がつぎの日にとどけてくれるのを
前提としてなりたっている。
アマゾンやアスクルなどは、宅急便がちゃんと運営されていないと
まるで仕事にならないだろう。
わたしがアルバイトでやっている ハーブの苗の発送だって、
とどくのに1週間もかかったら、とちゅうで苗がかれてしまう。
かるい冗談としてクロネコヤマトに仮装したので、
ずっと冗談のまま貴重な体験をおえてしまった。
荷物をくばっているひとたちの苦労を
あらかじめ想像できたら、
もうすこし敬意をこめて「仮装」しただろう。
日本の社会をささえているのは、
宅急便のような仕事かもしれない。
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