韓国では、食事のときにおわんをもちあげないで、
テーブルにおいたままたべるそうだ。
中国はおわんをもちながら、ハシでわしわしと
おかずをのせたごはんをかきこんでいく。
極東に位置するご近所の国として、
ましてやハシの文化を共有する国どうしとして、
日本・中国・韓国は、おなじように
おわんをもってたべるかとおもっていたのに、
韓国だけちがっていた。
タイやカンボジアとおなじように、
韓国でも おわんをもちあげてたべるのは
無作法なふるまいとなる。
なぜ日本と中国だけが世界のほかの国と
ちがうたべ方をするのかを、
まえにブログでとりあげたことがある。
http://parupisupipi.seesaa.net/article/231356877.html?1481455043
食事だけでなく、なにかの起源をかんがえるのはたのしい。
なぜおわんをもってたべる文化と、
もたない文化にわかれるのだろう。
このまえ「クールジャパン」で和食器をとりあげたとき、
「日本にはスプーンがないので
おわんにくちをつけてたべる」
ということを、女性のゲストがはなしていた。
そうなのか。そんなことが理由だったのか。
中国にはレンゲがありながら、おわんをもってたべる。
レンゲはスプーンににているけど、
もともとはべつの機能を目的に うまれたのかもしれない。
スプーンがないから、うつわに直接くちをつけてたべる
という指摘には 説得力がある。
ものすごくふかい精神性のもとに、
ややこしい作法ができあがったわけではなく、
いまあるしきたりのおおくは、
「スプーンがなかったから」みたいに、
物理的な必然からうまれたにすぎないのではないか。
なにかで無作法を指摘されたとしても、
その起源にどうせたいした理由はないので、
「スプーンがなかったから」と、
すましてこたえればいいみたいだ。
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