若いとき、いつぐらいまでだったかなぁ。
クリスマスイブは、ほんとうにいやだった。
そういう気持ちは、日本中の、
かなりたくさんの人たちが持っているはずなのだけれど、
「苦しいほどさみしい」とか感じている当人にとっては、
じぶん以外ほとんどの人のことが、幸せに見えてしまう。
ふだんの日には、あんまり感じてなかった
「じぶんのさみしさ」というやつが、
他人たちみんなの幸せそうな明るさによって、
格別に暗く重く目立ちはじめるわけだ。
わたしが20代のなかごろ、
ことしみたいにクリスマスイブが土曜日にあたった年があり、
さすがにそのときはさみしさが身にしみた。
もういい歳なのに、いきさきはバイトしかない。
「苦しいほどさみしい」という
たかい精神性をかんじさせるなやみではなく、
自分だけが、ひとりとりのこされているようで
さみしいというより はずかしかった。
あれから幾星霜。
わが家のイブは、クリスマスを意識せず、
いつものようなメニューで 淡々とした夕食となった。
ケーキもないし、サンタさんもこない。
広島からむすこがかえってきたけど、
友だちとすごすでもなく、
家でいっしょに夕ごはんをたべた。
イブに親といっしょがいやじゃないのは
いまのわかものに共通した感覚なのだろうか。
わたしだったら、用がなくても おそく家にかえり、
時間をずらして食事をとりそうだ。
「おひとりさま」ということばが定着し、
コンビニでもひとりむけの商品がならび、
ひとりですごすのは けして特別でなくなっている。
だからこその非婚化・晩婚化なんだろうけど。
ひとりですごす時間が ひとを成長させると
いまは肯定的にとらえられてもいる。
わたしだって、配偶者に同行をことわられ、
ひとりでセブ島へいくのだから、
しらずしらずのうちに、自分たちもまた
時代のながれにのっかっている。
ひとりをおそれなくなった日本で、
これからどんな文化が発展していくのだろう。
メリークリスマス。
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