(海猫沢めろん・大和書房)
サブタイトルは「ゆるく自由に生きるレッスン」。
自由についてかかれた本。
そういえばわたしは、「自由」がいつも頭のかたすみにある。
本にかかれていることが、ビシバシわたしの胸にささってくるので、
引用しだしたら、海猫沢さんの文章ばかりになってしまいそうだ。
かんじたままに、さらっとかこう。
わたしがなにかを「いいな」とおもうのは、
たいてい自由をかんじるときだ。
自由そうなひと・発想・ふるまい・しぐさに
わたしのなにかが反応する。
旅行もトレーニングも仕事をするのも、
仕事をやめるのも、自由のためだ。
野宿がたのしそうにみえるのも、
スーパーカブにのって旅行にいきたくなるのも、
自由につながっていそうだから。
町を自転車でいく女の子がすてきにみえたとしたら、
それはその子が自由にみえたからで、
はんたいに、かっこわるいとおもえるのは
不自由さをかんじるからみたいだ。
カリオストロの城にしのびこもうと失敗した
わかいころのルパンは、
カジノではでにあそび、美女をはべらせ
豪華なクラシックカーのベンツSSKにのっていた。
2どめにカリオストロをめざしたときのルパンは、
イタリア製の大衆車、フィアット500にのりかえ、
野宿しながら どん兵衛をすすっていた。
自由になり、こだわりをすてたから
ルパンはらくに生きられるようになった。
ゆるい自由とは、そういうものだ。
海猫沢さんは、ブログを宗教みたいなものだという。
自分がここにいた痕跡を、少しでものこしたいっていうことでしょう。
その「存在の不確かさ」みたいなことをなんとかするために、宗教に行くわけだけど、ブログって、そういうのに近いと思いますよ。祈りみたいなものです。
「僕は存在する」みたいなことを、延々、毎日、「何を食べた」、「美味しかった」って刻んでいる。
自分の存在をかんじたいから、かく。
そんな一面が たしかにある。
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