島根にただひとつはしっている私鉄で 出雲大社へでかける。
1月4日は、お正月のような お正月でないような ビミョーな時期だ。
参拝客でにぎわっていたら、
お昼ごはんにありつけないかも、と心配になり、
大社駅につくと おまいりのまえに
いちばんちかくのそば屋さんにはいった。
出雲といえばそばが名物で、
大社はとくにそばどころといわれている。
おひるの12時なのに、だれもお客さんがはいってない。
なにかワケありのようで、気もちわるかったけど、
食事のために行列するのはいやなので、
おもいきってその店にはいる。
えらぶものがかぎられていても、親子どんぶりくらいはあるだろう。
いよいよとなれば、どんぶりものできりぬける作戦だ。
でも、だめだった。ごはんものはなく、そばしかおいてない。
メニューは「あたたかいそば」と
「つめたいそば」のふたつにわけてあり、
それぞれ「とろろそば」「月見そば」「わりご」
(3段にかさねたもりそば)の3種類しかない。
天ぷらそばとか、ほかの料理とあわせたそばセットもない。
すこしたじろぎながらも気をとりなおして とにかく注文する。
選択がかぎられているので、4人がとろろそば、1人がわりごだ。
注文しても、すぐくるわけでもないし、
味もとくにみるべきところがない
(スーパーでかったゆでそばとおなじ味)。
量はふつうのお店の8割程度しかなく、
わりご750円、とろろそばが800円と、
値段だけはほかの店よりもすこしたかい。
そんなお店なのに、わたしたちがいるあいだに
つぎつぎとお客さんがはいってきた。
なんでこの程度のそばをだす店が、
営業をつづけられるのか、すごく不思議だ。
グチをいっているのではなく、
めずらしい体験として報告したい。
(そばポリスにとりしまってほしいけど)。
あいそがわるいとはいわないまでも、
お客さんにいいサービスをしようと、
とくにやる気にあふれてはいない。
お客さん商売というよりも、
地区の行事のうちあげを
自分たちの模擬店でやってるところに
まちがってまぎれこんだかんじだ。
生きのこるのがむつかしいといわれているこの時代に、
たった3種類のそばしかださず、味もたいしたレベルにない店が、
なぜいまもあたりまえのように商売をつづけられるのか。
出雲大社の参道は、
いまでこそこじゃれた店がのきをつらねているけど、
ほんの5年まえは みるべきところのない さびれたとおりだった。
商店街の方たちが、さまざまな工夫をかさね、
ようやくお客さんのにぎわいをとりもどした。
そんなとおりに、時代からおきざりにされたような店が
いまもまだあり、なんのひねりもないまま
平気で営業しているのがしんじられない。
観光客をよびこんだ ほかのお店の
おこぼれにあずかっているのだろうか。
SNSの時代といわれているのは
ただのかんちがなのではないか。
おいしくもなく、とくに特徴もない店が
こうしてちゃんといきのこっている。
ソーシャルネットワークからとりのこされても、
生きのこるヒントが この店にはかくされているのでは。
なんのへんてつもないお店が
なんのひねりもないそばをだしている。
おいしくもなく、値段だけはいちにんまえで、
それでもお客さんでにぎわうのはなぜか。
なにもひねるな、ということなのか、
それで自分たちのプライドはたもてるのか。
自分の目と舌がとりこんだ事実と、
客商売はきびしいという 一般論が一致せず、
どう解釈していいのか理解にくるしむ。
あのお店だけ、なんだかちがう空気がながれていた。
そばとしてはたかい800円ながら、
不思議な体験代とかんがえれば、
得がたいサービスだったのかも。
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