ゴッド・ファーザーといえば、
おおくのひとがみとめる大作なので、
なにか気にきいた感想をかかなくてはかっこがつかない。
とくにパート1は、
ファミリーを大切にするビトー=コルレオーネがかっこよく、
みていたわたしは けっこうその気になった。
ひとは、なんだかんだいったところで
家族のきずなこそがすべての基盤となる。
そういいながら、作品をみおわったすぐあとで
わたしはストーブにかけてあったヤカンのお湯を 湯たんぽにそそいだ。
そそぎながら、おれはドンのうつわじゃないなと、しみじみおもう。
どれだけ『ゴッド・ファーザー』に感激しても、
そのあとに湯たんはひどい。
こんな人間は、なんど『ゴッド・ファーザー』をみたところで、
ドン・コルレオーネみたいにファミリーをまもれない。
もうひとつ、1作目でわたしがひかれるのは、
日常にとけこんでいるやすっぽい赤ワインだ。
ちびちびグラスをかたむけてこの作品をみると、
作品の世界にてっとりばやくひたれる。
もっとも、そういいながら そのあとで湯たんぽだったので、
本質的なふかい影響ではないみたいだ。
パート2では、三男のマイケルが 父親からファミリーをひきつぐ。
彼がマフィアの世界をどうおよいでいくか、というはなしと、
わかき日のビトーが、アメリカに移民としてやってきて、
しだいにちからをつけながら、イタリア人社会で
のしあがっていく過程が 交互にえがかれる。
マイケルのはなしは、ややこしい内容なので、
なんどもみなおさないとよく理解できない。
そんなはなしのあとで 時代がビトーのころにもどり
むかしのイタリア人街に場面がうつるとホッとした。
http://parupisupipi.seesaa.net/article/311819620.html
この作品では、なんといってもビトーが自宅でたべる
スパゲッティの存在感がおおきい。
サスペンダーを肩からはずし、
スパゲッティをたべる場面が作品世界をあらわしている。
テーブルいっぱいにごちそうがならぶのではなく、
かたいパンとスパゲッティ、それに肉の煮こみだけ。
ゆたかすぎる食卓よりも、
わかくまずしかったビトーにふさわしい夕食といえる。
土地のチンピラに仕事をうばわれたビトーは、
梨ひとつを家にもってかえり、奥さんにみせる。
奥さんは「おいしそうな梨ね」と ほかのことはたずねない。
ビトーは仕事をうしなったにもかかわらず、
奥さんにただニッコリほほえんだ。
そんな人物だからこそ、自然とまわりからたよられるようになる。
わたしがすきな場面だ。
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