2017年01月13日

「とりかえしのつかないこと」とは なにか

林雄司さんのブログで
「取り返しのつかないことへの衝動」をよんだ。
http://yaginome.jp/?p=1399
試着室で全裸になったとき、このまま飛び出したら終わりだなと思う不思議な感じ
20年以上まえに、名前はわすれたけど、わかい歌手が
「とりかえしのつかないことをしようよ」とうたっていて、
奇をてらった歌詞に反発をおぼえた。
自分をおとしめているようで、じつは自己憐憫のにおいがする。
なにが「とりかえしのつかない」だ。
「とりかえしのつかないこと」なんて
あるわけないだろう。

でも、その反発は おそらくわかさへのシットで、
「とりかえしのつかないこと」はたしかにある。
そして、それが衝動とセットでやってくるからこまる。
わたしの場合は、自動車を運転していて、
たかいところをはしっているときなど、
ちょっとハンドルをきればおわりだな、
という衝動があたまをかすめる。
あらがいがたいつよさの衝動ではないものの、
どうしようかなーと、しばらく検討してしまうくらいの魅力がある。

ハンドル操作はいのちにかかわる衝動だけど、
「とりかえしのつかないこと」のおおくは、
社会的な地位にとどめをさしてしまう行為ではないか。
こんなことをしたら、もういまの職場におれない、
みたいな衝動を林さんがブログにかいている。
でもまあこれは、本人にとって
「とりかえしのつかないこと」で あるにせよ、
まわりからすれば どうでもいい衝動だ。
そのうち時間が解決して 世間はわすれくれてくれる。
ほんとうに「とりかえしのつかないこと」とはなんだろう。

極端なことをいえば、たとえ人類がほろびたとしても、
地球が爆発するまで世界はつづくだろうし、
地球がなくなっても、宇宙からみたら
たいしたできごとではない。
そこまではなしをひろげると、わけがわからなくなるので、
ここでいう「とりかえしのつかないこと」は、
人類にかかわる範囲としたい。

トランプ氏を次期大統領にえらんだアメリカ人は、
「とりかえしのつかないこと」をしたと、
後悔しているのではないか。
アメリカだけでなく、地球環境からみたときにも、
かなりのリスクをせおったのかもしれない。
いまさらとりかえしはつかないけど。

スポンサードリンク



posted by カルピス at 10:40 | Comment(0) | TrackBack(0) | 林雄司 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック