叔母さんは、じきに金、金って品がわるいのね。金より愛の方が大事じゃありませんか。愛がなければ夫婦の関係は成立しないわ
とかいてあった。
だからといって、漱石が「金よりも愛」と
ほんとうにおもっていたとはかぎらないけれど、
とにかく当時(およそ110年まえ・明治38年)の日本には、
すでに こうした論理を口にしても
おかしくない雰囲気があったのはたしかだろう。
わたしもわかいころは 当然そのようにかんがえ
なんのうたがいももたなかったけど、
いまの率直なわたしの気もちはというと、
愛がなければはなしにならない、とまではおもわない。
そんなことをかくと、まるでわたしが
「愛」もないのに結婚したみたいだけど、
もちろんけしてそんなはずはなく、
じゅうぶんな「愛」のもとにいっしょになった(はず)。
でも、歳をとったせいか、結婚は「愛」だけともいえないのも
たしかだとおもう。
家をつぐための結婚でもかまわないし、
なんとなく、でもいいとおもう。
熱烈な恋愛をへなければ、ただしい結婚ではないというのは、
ただのおもいこみであり、
ながい目でみると、結婚生活は
「愛」以外の要素がおおくの比重をしめる。
まったく愛がないのはさみしいので、
かくし味というか、かざりというか、
いちおう象徴としての愛があったほうが
ないよりもいいけれど、必須ではない。
以前はたとえば時代劇をみていているときなど、
庄屋のアホむすことむりやり結婚させられる
水のみ百姓のむすめ、なんてシチュエーションでは、
純粋な気もちで反対していたのに、
まさかわたしがこんな達観にいたるとは
自分でもしんじがたいけど事実だ。
小倉千加子さんは名著『結婚の条件』で、
たしか愛についてはそんなにふれていなかった。
たかのぞみするな、身のほどをわきまえよと、
くりかえしさとしてあったのではなかったか。
結婚の条件なんてかんがえるから結婚できないのであり、
いいかげんなところで手をうてば
だれでも結婚できる、という本であり、
それこそが結婚への道の核心となる。
中年になったわたしは、小倉さんの説に
なんのうたがいももたない。
明治38年というはるかむかし、
「愛がなければ夫婦の関係は成立しないわ」を
都会の女性が口にしていた事実(小説だけど)。
晩婚化と少子化をはぐくむ土壌が
すでに都会では はぐくまれていたのにおどろいている。
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