丹野智文さんは39歳のときに認知症を発症した。
アルツハイマー病と診断されてからも、
職場の理解をえて仕事をつづけている。
認知症になったらおしまい、ではなくて、
まえむきに生きつづけるためには
どうしたらいいのだろう。
丹野さんは、すすんだとりくみでしられるスコットランドをたずねる。
スコットランドでは、認知症と診断されたかたを、
リンクワーカーとよばれる専門家が支援している。
そのしくみをおしえてもらったり、当事者団体との交流など、
丹野さんは充実した取材をつづける。
日本でも当事者の声をとりいれたしくみづくりにとりくみたいと、
はりきっておられた丹野さん。
でも、日本にかえり、取材でのメモをとりだすと、
かなりの記憶をすでにうしなっていた。
大丈夫、これがあればふりかえられるからと、
まえむきな姿勢をみせながらも、丹野さんはなきだしてしまった。
取材のときにかんじた希望、そして興奮を、
こんなふうにわすれてしまうなんて、認知症はなんて残酷なのだろう。
番組の意図は、認知症になってもまえむきに生きられる社会を、
であったのだろうけど、
わたしは、あすへの希望よりも、
認知症の残酷さをよりつよくかんじた。
こんなふうにとりくめば、まえとおなじようにくらせる、という
しくみが日本ではととのっていないだけに、
丹野さんはひとりで問題をかかえているようにみえる。
認知症のひとが 旅行にでかけ、
取材した内容をメモするのはすばらしい体験だけど、
それを日本にかえってから文章におこす、
というながれに問題があったのではないか。
わすれやすいのだから、その日のできごとを、
その日のうちにブログなり文章におこしたほうがいい。
そんなことはわかっている、と丹野さんはいわれるだろう。
わかっていてもわすれてしまうから たいへんなのだ。
わたしだって、いつ認知症を発症するかわからない。
認知症のこわさにおびえるのではなく、
希望をかんじるにはどうしたらいいのか。
残念ながら、番組をみるかぎり、
発症してもなんとかなると
まえむきに気もちにはなれなかった。
スコットランドに滞在ちゅうの丹野さんは、
とてもいきいきとした表情をされていた。
それは、スコットランドにくらす認知症の方々が、
自分の人生を いまもたしかにいきつづけていると、
丹野さんがかんじたからだろう。
そうしたすすんだとりくみが 日本にも必要であり、
とりいれるにあたり、丹野さんには、当事者としての意見を
これからどんどん発信していただきたい。
認知症の発症や進行におびえたり、自分がなさけなくなって
なきだしたりしないですむ社会であってほしい。
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