2017年01月29日

健康問題

職場の健康診断をうけないかわりに、
漢方薬を処方してもらっている病院で、
年にいちど血液検査をおねがいしている。
健康診断をうけないのは、
どこかわるいところがみつかって、
再検査なんていわれるのがいやだから。
再検査して、たとえばガンがみつかりました、となった場合、
わたしのよわいこころは のりこえられそうにない。
だったら、なにもしらずに、そのまま死のう、という
よわいんだか つよいんだか わからない論理にすがっている。
病名がわかっても なおしようがないのなら、
しらないほうがいいという論理武装だ。

でも、この武装はとてもよわく、
歳をとるにつれ、血液検査の数値に自信がもてなくなると、
検査の結果をきくたびに ものすごくストレスをうける。
死ぬときがきたら 死ねばいいという趣旨からはなれ、
数値に一喜一憂する自分がかなしい。
健康に自信がもてない心理につけこんで、
中年たちの不安をかきたてる ネットや雑誌にはらをたてる。

自分の健康が盤石でなくなると、
健康そうにみえるまわりのひとも、
あんがい いろいろな問題をかかえているのでは、
とおもうようになった。
元気そうなあのひとも、
じつはコレステロールの値を気にしているかもしれないし、
ほっそりとかっこいいあのひとは、ダイエット商品にたより、
必死の努力で維持しているのかもしれない。
健康そのもののにみえるおじさんだって、
動脈硬化におびえ、血液サラサラの薬を手ばなせないでいるのかも。
確率からいって、40歳をすぎたら、おおくのひとが
なんらかの健康問題をかかえているはずだ。
健康こそが、だれにもしられたくない
最大のプライバシーかもしれない。

ながいきしたところで、
いいことばかりでないのは よくわかっている。
いつまでも生きられるわけではないし、
ながいきするほど したしいひとがポツリポツリと死んでいく。
認知症になれば よほど達観したひとでなければ
かなしみから たちなおれないだろう。
歳をとるほどガンのリスクはたかくなる。
健康面でも経済的にも、
いまのくらしを いつまでつづけられるかはわからない。

それでも健康への不安からのがれられないのは、
こころのよわさが問題なのだろう。
もうじゅうぶん生きたとおもえたら、
そんなにジタバタしないで
からだの異常をうけいれられるだろうに、
つい もうすこしこのまま生きたいと、よくばってしまう。
つよい精神力の人物がでるはなし、
たとえばコーマック=マッカーシーの小説をよむと、
運命をうけいれ、あるがままに生きようと さとった気になるのに、
なにも症状がでないうちから、血液検査の数値ぐらいで
一喜一憂するのはなさけない。
自分がしあわせとおもえたら、それでいいわけで、
どんな病気になろうとも、これまでの人生に感謝して
ニッコリほほえみながら三途の川をわたりたい。

スポンサードリンク



posted by カルピス at 21:04 | Comment(0) | TrackBack(0) | 健康 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック