2017年02月05日

『ボビー・フィッシャーを探して』ジョシュのやさしさがさわやか

『ボビー・フィッシャーを探して』
(スティーブン=ザイリアン:監督・1993年・アメリカ)

伝説のチェスプレイヤー、
ボビー=フィッシャーがすがたをけして10年がたつ。
チェス界は、永遠につぎのボビー=フィッシャーを
まちのぞんでいるかのようだ。
彼のような天才が、ふたたびあらわれるのだろうか。
(以下ネタバレあり)

7歳のむすこジョシュに、チェスの才能があると両親が気づく。
子どもむけの大会に参加してみると、レベルがちがいすぎ、
ジョシュはかんたんにかちつづけ、優勝をかさねる。
父親はジョシュの才能をのばそうと、
かつてはマスター級のプレーヤーだったブルースに
ジョシュのコーチをたのむ。
ブルースの指導は、ストリートチェスとちがい、
セオリーを大切にする正攻法のチェスだ。
さらにちからをのばしたジョシュは、
おおきな大会でもかちすすみ、名前がしられるようになる。
わが子が有名になるにつれ、父親はしだいに自分をみうしない、
相手のプレイヤーをさして
「あいつはヘボだ」とこきおろすようになる。
ジョシュへおおくをもとめ、
かちつづけるようプレッシャーをかける。
ジョシュはチェスのたのしさをみうしないながらも、
父親の期待をうらぎらないよう、チェスをつづける。
あたたかかった 以前のくらしは、
気もちのゆとりをうしない ギスギスした関係になる。
父親と母親のあいだでも、いいあいがたえなくなる。

ベタなはなしともいえる。
よくありがちなストーリーだ。
けっきょく父親は自分のあやまちに気づき、
ジョシュがのびのびとチェスをたのしめるよう
かんがえ方をあらためる。
ベタなはなしをきれいにひっぱるのは、
ジョシュのかわいさだ。
演技しているのではなく、
ふつうにふるまってるだけにみえる。
『追憶』にでてきたふたりの子役もうまかったけど、
ジョシュのふるまいは、ほんとに自然だ。
コーチがゲームの相手を軽蔑しろ、にくむんだ、
とアドバイスしても、
「ぼくはにくまない。
 ぼくはボビー=フィッシャーじゃない」
とジョシュは自分の気もちをまげない。

相手をにくむようなチェスでは
いいとこいまのトップレベルのプレーしかできない。
ジョシュの人生観は、そんなちいさな世界におさまらない。
だれにたいしてもやさしいジョシュだから、
かつことだけにこだわるほかの子や親たちよりも、
ずっとさきのプレーにたどりついた。
つよさだけをもとめがちな社会に、
ジョシュのつきぬけたやさしさは、
だれもたどりつけなかった さわやかさをもたらしてくれる。

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posted by カルピス at 22:43 | Comment(0) | TrackBack(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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