2017年02月13日

ネコはこたつでまるくなる

ときどきピピのようすをブログで紹介しているとおり、
このごろピピは いちにちのほとんどをねてすごしている。
さむいので、どうしてもこたつのなかで まるまりがちだ。
「雪やコンコ」のうたに、
「ネコはこたつでまるくなる」とあるのは、
さむがりのネコを 極端にディフォルメした
おおげさな歌詞かとおもっていたら、
あれはほんとうのはなしだった。

イヌがよろこんで庭をかけまわるかどうかはしらないが、
あるていど歳をとったネコについて、
「雪やコンコ」は事実をそのままうたっている。
いちにち24時間のうち、20時間以上を
ピピはこたつでまるくなっているのだから、
うたになっても文句はいえない。
あまりにも うたのとおりなので、
いまさらなにをいっているのかと、
ネコたちは ひらきなおりたくなるのではないか。

わたしが子どもだったころ、
おとなはげんきにそとであそぶ子どもをこのみ、
部屋のなかでさむそうにしている子がいると、
「子どもは風の子」だから外であそびなさいと、よくいわれた。
「雪やコンコ」のうたは、さむくてもそとであそぶイヌをほめ、
ねてばかりいるネコを なまけものだと
きめつけているようにきこえ、あまりすきではない。
子どもながらに 道徳的なにおいを かぎつけていたのではないか。

ちがったとらえかたもある。
ネコだってすきでまるまっているわけではなく、
それなりの事情があるのかもしれない。
そんなネコたちの側にたってものごとを観察し、
背景にかくれているなにがしかを
想像できる子にそだってほしい。
むかしのひとは「雪やコンコ」のうたに
そんなねがいをこめたという説だ。

有名な「北風と太陽」では、
ちからづくで男のコートをぬがせようとした北風が、
知恵のたりない乱暴者のようにあつかわれている。
でも だからといって 北風になにができる?
ときりかえしたひとがいて、わたしはすごく感心した。
たしかに北風ができる工夫はかぎられている。
おなじ意味あいで、冬をなんとかのりきろうとするネコは、
まるまる以外になにができるというのか。
ネコの側にたつと、ふつうにきいているぶんには、
理不尽なうたでしかない。
うらがわにかくれているはずの真理を
まなぼうとする姿勢がとわれている。

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posted by カルピス at 22:09 | Comment(0) | TrackBack(0) | ネコ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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