2017年02月17日

しろうとに、読書スランプはおとずれない

『本の雑誌 3月号』の特集で、
読書スランプ克服法がとりあげられている。
文章をかくのにスランプはよくきくけど、
本をよむのにも スランプなんてあるのか?
特集は、読書にスランプなんてない、という立場と、
正面から読書スランプをかんがえたものと、
2つの立場にはっきりわかれた。
完璧なフォームでホームランを打っちゃうと、そのあとはその振りにこだわっちゃって、どんなフォームだろうが当ててヒット打てばいいのに、それができなくなっちゃうんです。

そういわれると、仕事としての読書でなくても
スランプはありえるような気がしてくる。
理想がたかいと現実はむつかしくなる。
A (運動とおなじで)ちょっと読むのを怠ると
 読めなくなっていっちゃうじゃないですか。
D だって元々よまなくてもいいものだからね(笑)
C 読まなくても生きていけることに気づいちゃうんだよね。

「元々よまなくてもいいものだから」に
スランプ克服法のこたえがひそんでいるのでは。

「読まないのが一番だ!」と、
読者からの投稿が紹介されている。
プロじゃないおおくの読者にとって、
本はむりしてよむものではないし、
よめなくてもとくにこまらない。
わたしの場合、小説に集中できないときは、
エッセイや旅行記をめくるのがおおくなる。
そもそもわたしはふだんからそんなに本をよんでいるわけではなく、
小説を月に2、3冊、あとはかるい本が中心の読書なので、
スランプをこれまで意識したことがない。

ときどきぶあつい本にむきあいたくなったり、
日本の小説ではなく 海外ミステリーがよみたいときがある。
調子のいい・わるいでいうと、
ながい小説を手にとる気になるのは
あきらかにいい調子のときだ。
でも、なんどもくりかえすけど、
調子がわるいからといって べつにこまらない。
プロだけがスランプにこまるのであり、
すきなペースで本とむきあっているものにとって、
読書スランプは 切実な問題とはいえない。

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posted by カルピス at 21:27 | Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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