2017年02月19日

歯間ブラシへの抵抗感

歯石をとってもらうために歯医者さんをたずねたら、
歯石のほかにもわるいところがみつかった。
つめものが歯にあわなくなっているのと、
歯のすきまにブラシがとどいていないので、
よごれがおちていないそうだ。
つめものは、あたらしく型をとってもらい、
歯石をぜんぶとってから つけかえましょう、といわれる。
歯のすきまにたまるカスについては、
ふつうの歯ブラシでは限界があるので、
歯間ブラシをすすめられた。
歯間ブラシは、エントツそうじのブラシを
歯のサイズにあうくらいちいさくしたもので
(これではかえってイメージできないか)、
歯医者さんでなくても ドラッグストアで手にはいる。

家でも歯間ブラシをつかいはじめると、
いかにもくまなく歯がきれいになるようで
あんがいおもしろくとりくめるし、
こころなしか 口のなかがすっきりする。
でも、ちょこちょこと、歯間ブラシで歯のすきまをせめていると、
こんな不自然な行為はないような気がしてきた。
ながい人類の歴史で、歯間ブラシをつかうようになったのは、
ほんのごく最近のできごとだろう。
歯みがきは、ちがう。
おおむかしから(いつからかはしらない)、
人類は木の枝をしゃぶったり かじったりして、
歯のそうじをこころみてきた。
虫歯予防というよりも、心理的な爽快感だったかもしれないし、
歯になにかがはさまったのをとるために、
必要な「歯みがき」だったかもしれない。
動物と人間とのおおきなちがいは、
歯をみがくか、みがかないかだ
(いまおもいついた格言)。

しかし、歯間ブラシとなると、
かなりこまかな技術がなければつくれないし、
そんなところのゴミをとろうなんて発想を、
むかしのひとはもたなかったとおもう。
そもそも歯にすきまができるのは、
老化にともないハグキがやせるのが原因であり、
50歳をこえてまで生きつづけようとするから
歯間ブラシなんてものが必要になる。
歯みがきのさいごに、しあげとして、
歯間ブラシをつかいながら、
こんなちょこざいな行為をしてまで
わたしはながいきしたいのかと、
なんだかさみしくなってきた。
歯にすきまができるまで生きたんだから、
すみやかに死ぬ時期をむかえているのではないか。

ゾウやネコが、死期をさっすると、
死に場所をもとめて むれからはなれたり、
家からでたり、というのはどうやら俗説らしいけど、
人間もまた、生物としてのやくわりをおえた50歳になれば、
ながいきばかりをもとめずに、
さいごの形づくり(まけをさとった棋士のように)を頭におき、
おだやかなさいごを演出したほうがいいのではないか。

わたしがいいたいのは、お化粧と整形の関係のように、
歯みがきまでは当然としても、歯間ブラシは整形、
つまりいきすぎた行為なのでは、という疑問だ。
たとえばローマ法王に歯間ブラシの是非をたずねたら、
どんな判断をくだされるのか興味がある。
ながいきをもとめ、人間には どこまでの行為がゆるされるのだろう。
臓器移植やガンの克服などとおなじ問題意識として、
歯間ブラシへの欲望は、はたして ときはなしてもいいものかどうか。

歯間ブラシは ブラシがおれるまでつかえるから、
8本いり300円で しばらくわたしの歯のすきまをきれいにしてくれる。
やってみると、ぜんぜんめんどくさくないので、
そのうち習慣になるかもしれない。
こざかしく歯間ブラシをうごかしながら、
悪魔に魂をうりわたしたようで、
しばらくモンモンとなる日がつづきそうだ。

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posted by カルピス at 20:54 | Comment(0) | TrackBack(0) | 健康 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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