『カリオストロの城』で クラリスが伯爵からにげるときにつかった
フランス製の自動車だ。
子どもを保育園におくりむかえするのに 自動車が必要となり、
でも自動車らしい自動車に関心のなかった宮アさんは、
映画にでてきたシトロエンが よたよたとはしる姿に、
これだったら自動車じゃない、と
自動車らしくないところが気にいって えらんだという。
外国の車といっても、シトロエン2CVは
「ブリキのおもちゃ」「みにくいアヒルの子」などの
ありがたくない通称からわかるとおり、
最低限の機能だけをそなえた 庶民向けの大衆車だ。
宮アさんが手にいれたのは 中古のシトロエンで、
ろくに坂道をのぼらないような
ちからのないポンコツ自動車だった。
すぐにあちこちがいかれ、
いったんこわれると部品が手にはいらないので
なかなか修理がすすまない。
宮アさんは、頭のなかがシトロエン2CVでいっぱいになり、
家族さえいなければ、もっとあいつをかまってやれるのにと、
だんだん本末転倒な意識にかたむいていった。
家族のためにかったはずの自動車なのに、
家族さえいなければ、と悪魔がささやくようになるのだから、
人間の願望は おそろしい一面をひめている。
というはなしをもちだしたのは、
気がよわいわたしの ながいまえふりだ。
わたしの部屋にある配偶者のタンスが邪魔でしょうがなく、
でも あからさまなことはいいにくいので、
わざわざ宮アさんまでひっぱりだした。
わたしは 4畳半のせまい部屋を 書斎としてつかっており、
ただでさえきゅうくつなのに、
ここには配偶者のおおきなタンスも おいてある。
もともとタンスがあった部屋を
わたしが書斎につかいはじめたのだから、
正面きっての文句はいいにくいけど、
書斎とタンスは たいへんに相性がわるい。
機能がちがうこのふたつを おなじ部屋におこうとするのが
そもそも無理なのだ。
もしこのタンスがなければ、本棚を2つならべて
すっきりと機能的な部屋につくりかえられる。
わたしのこの数年は、このタンスさえなければ・・・を
延々とあたまのなかでいじくりまわした年月といってよい。
配置がえをかんがえても、かならずタンスの存在に計画がいきづまる。
そもそも、タンスって、ほんとに必要なものだろうか。
ただ服がしまってあるだけなのに、
なぜタンスは無駄にスペースを主張しつづけるのか。
すべてのタンスが悪におもえてくる。
人間関係において、◯◯さえいなければ、という発想は、
たいてい自分のいたらなさをあらわしている。
タンスにしたって、それがなくなったとしても、
どれだけわたしの生産性がたかまるかは きわめてあやしい。
もちろん、そんなことはわかったうえで ダダをこねているのだ。
あー、タンスがにくたらしい。
タンスを排除するには、いくつかの方法がかんがえられる。
宮アさんのように、◯◯さえいなければ、なんて
だいそれた案までがあたまにうかぶ。
たかだかタンスごときに、
なにもそこまで極端にはしらなくてもよさそうなのに、
あるべき部屋の姿をおもいえがいて モンモンとする。
合理的かつ合法的に、
タンスがわたしの部屋からなくなるシナリオを募集したい。
完全犯罪のように、ぬけぬけと、当然のなりゆきとして、
このタンスをべつの部屋におっぱらう方法はないものか。
わたしには夢がある。
いつの日か、タンスがわたしの部屋からなくなり、
本棚が機能的にならべられた書斎らしい空間を。
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