ずっとまえから気になっていた作品だ。
1990年に公開されているので、
27年ほったらかしているあいだに「古典」となってしまった。
こむずかしい解釈をもとめられるとおもいこみ
なんとなく 敬遠してきた。
おどろおどろしいのはオープニングまでで、
あとは霧がはれるように あかるい映像となる。
これはまあ、ティム=バートン監督の常套手段ともいえるのだけど、
その演出にすっかりだまされていた。
これはコメディだ。
深刻にみるひとがいてもいいけど、
一貫したドタバタというみかたをわたしはとりたい。
レタスを手のハサミでみじんぎりにしたり、
バカボンのパパみたいに植木をかりこんだり。
警察が「手をうえにあげろ」とエドワードをおいつめる。
エドワードがいわれたとおりに手をうえにあげると、
とうぜんながらややこしいハサミの手がうきぼりになる。
「ナイフをたててるぞ!」がおかしかった。
この警官は、のちにエドワードがかかえる
ややこしい状況に理解をしめし、
ふかい部分でエドワードのとまどいを理解する。
以下、ネタバレあり。
ある博士が「人間」をつくったとき、
手の部分だけがをつくりのこして死んでしまい、
あとには手がハサミのまま エドワードひとりがとりのこされた。
手がハサミの人間って、どんな姿なのだろう。
『シザーハンズ』がそのこたえだ。
ティム=バートン監督は、
いかにも もっともらしいハサミ人間として
エドワードに黒のジャケットをきせ、
表情があるような ないような、
うごきもどことなくぎくしゃくしていて、
でも あるいているとちゅうで
庭木にちょっかいをだしたりする好奇心はある。
ハサミはひとつではなく、なにやら複雑にこんがらがっている。
エドワードは、自分のややこしい手を、
けしてなげいたりはしなかった。
自分のからだをうけいれながら、あたらしい世界にもなじもうとする。
ハサミひとつのシンプルな手にしなかったのが、
エドワードのありえなさをきわだたたせ、
この作品を成功にみちびいた。
手がややこしい形なだけで、作品の内容そのものは、
ものすごくシンプルにつくられている。
お城みたいな家でひとりぐらしをしている青年
(しかも手がハサミなのに)を、
化粧品セールスの女性が かんたんに家につれてかえるはずがないし、
つれてかえった青年を、女性のご近所さんが
あんなに関心をよせるはずがない。
すべてがおとぎ話なのだ。
そこにどれだけのリアリティをもたせられるか。
ティム=バートン監督がつくる世界に、
わたしはここちよく身をゆだねた。
キム(ウィノナライダー)のボーイフレンドであるジムは、
あんなにバカな男でなければならなかったのか。
キムだって、ただかわいいだけの女の子にすぎず、
ウィノナライダーではすこしかわいそうだった。
エドワードがキムに恋するわけないような気がするけど、
恋にぜったいはないので 恋しちゃったわけだ。
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