「トルキスタンの旅」をよんでいたら、
『モゴール族探検記』にあたる部分をおえたあと、
カーブルへかえるまでの旅行がしるされていた。
土地はしだいに平坦になり、中央アジアの大平原の様相を呈してくる。まったいらな地平線があらわれてくる。(中略)わたしは、十数年ぶりに、びょうびょうたるアジア大陸の地平線をたのしむ。あの地平線は、そのままモンゴリアまでつらなっている。あのラクダのふみあとがそのまま北京までつづいている。(梅棹忠夫著作集 第4巻P268)
梅棹さんは、アジア大陸の内部につらなるこの大平原をみて、
『文明の生態史観』の着想をえている。
東北アジアから、西南アジアのアラビアまで、ユーラシア大陸を斜めに横断して走る大乾燥地帯がある。それは、際限もなくひろがる砂漠と草原の世界であり、それをつらぬいて点々と連なるオアシスの世界である。その大乾燥地帯の一角にとりつけば、あとは一しゃ千里である。三蔵法師もマルコ・ポーロも、みんなこの大乾燥地帯を利用して旅行したのであった。(『モゴール族探検記』P8)
わたしはまえにモロッコを旅行したとき、
この大乾燥地帯のはしっこをみたようにおもった。
マラケシュからアトラス山脈をこえると
それまで緑のおおかった植生にかわり、乾燥した土地があらわれる。
アトラス山脈にそって車が東へはしると、
右手には延々と大平原がひろがっている。
『文明の生態史観』をよんでいたわたしは、
この大平原がずっと東のはて、モンゴルまでつづいているのだと、
ひそかに興奮したものだ。
目のまえにあらわれた大平原をみて、
梅棹さんのいう「一しゃ千里」の意味がよくわかった。
機動力のある騎馬隊がこの一角にとりつけば、
なにもさえぎるものがないので、かんたんに距離をかせぐだろう。
乾燥地帯は悪魔の巣だ。(中略)昔から、何べんでも、ものすごく無茶苦茶な連中が、この乾燥した地帯の中からでてきて、文明の世界を嵐のようにふきぬけていった。そのあと、文明はしばしばいやすことのむつかしい打撃をうける。『文明の生態史観』(中公文庫P102)
夜ねむむるまえ、
お酒をすすりながらの読書にぴったりなのが探検記だ。
よいがまわるにつれ、こまかな描写には頭がついていかないので、
たいていは、いちどよんだ本をひっぱりだす。
このごろわたしがよくひらくのは、
冒頭にもかいた『梅棹忠夫著作集 第4巻』で、
この巻は「中洋の国ぐに」として『モゴール族探検記』など、
「中洋」を舞台にしたはなしがおさめられている。
わたしがすきな「カイバル峠からカルカッタまで」もこの巻にあり、
よいにまかせて適当にページをひらく。
梅棹さんは、このときの旅行で、
タイプライターをたたきながら、まどのそとにひろがる
風景を記録している。
みじかくきられたリズム感のある文章に、
まるで自分もいっしょに旅行している気がしてくる。
たとえば出発のようす。
4時30分。用意はできた。江商バンガローの人たちは、懐中電灯をもって、門まで見おくってくれる。わたしは、みんなにさようならをいう。わたしたちは、車にのりこむ。シュルマン博士は、エンジンをかけ、ハンドブレーキをはずす。わたしは、ながいあいだ行動をともにしてきた友人、山崎さんに、最後のごきげんようをいう。そして、出発する。(梅棹忠夫著作集 第4巻P282)
梅棹さんのここちよい文体にひたり、
つい寝酒がすぎてしまいがちだ。
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