「でかい紙に応援メッセージを書いて見送られると感動する」
がよかった。
http://portal.nifty.com/kiji/170626199993_1.htm
江ノ島茂道氏による記事で、内容は、タイトルそのままだ。
ふつうなら、ちょっとしたおでかけ、というよりも、
通勤・通学として東京へむかっているだけなのに、
「わかれ」として のぼり線をとらえ、友だちもまきこんで
応援メッセージをかかげながら みおくってもらう。
たとえ神奈川県からの「上京」でも、
おおきな紙に応援メッセージをかいてもらうと
なんだか感動してしまうらしい。
これまで江ノ島氏のかく記事は、
胃袋にたよった ちからずくの企画がおおかったけど、
今回は文章もさえている。
応援メッセージをかく ふとくておもいロール紙を、
「バットにできそうなぐらい長いが、
振れないほど重いのでバットには向いてない」
といいあらわすあたり、
ロール紙の特質について、論理的に表現するちからを
江ノ島氏は身につけてきた。
さいしょの実験は、江ノ島氏がみおくられる側だ。
あるていど うちあわせをして、
何時何分発の電車の何両目にのっているかを
おくる側につたえる。
友人たちの応援メッセージを発見したとき、
受験をしたとき、自分の番号を見つけたときぐらいうれしい。
東京でも頑張ろうという気持ちになる。
と江ノ島氏はかんじたというから、そうとうな効果だ。
ドラマなどでよくみるホームのわかれは、たいていいなかの駅なので
乗客とみおくりとの距離がちかく、感動的な旅だちになりやすい。
しかし、都会の駅でおなじような「わかれ」を演出しようとすると、
線路のちかくにある公園などで横断幕をかかげることになり、
すこしぐらいおおきな字をかいたところで、
電車のなかからは識別するのは困難となる。
よくみえないにもかかわらず、「感動した」というのだから、
メッセージの内容よりも、自分が旅だつにあたり、
しりあいがかけつけてくれた事実そのものが
うれしいのだろう。
もうひとり、おくられた側の感想は、
窓から、たくさんの人が一生懸命手を振っているのが見えました。指笛みたいな音も聞こえました。僕なんかのために集まってくれたのかと思うと本当に嬉しかったです。こちらからも手を振り返したのですが、見えたのは一瞬で、ちゃんとこたえられたかは分かりませんでした。東京でもがんばろうと思いました。
というから、上京による旅だちは、江ノ島氏にかぎらず、
だれでもこころがひきしまる体験になりやすいようだ。
いっぽう、おくる側にたったひとに感想をたずねると、
「電車内からも手を振っているのが見えて、全然知らない人なのに(行っちゃうのか〜)という気持ちになって少し寂しくなった」
というから、
ひとは けっこう、その場の雰囲気に 調子よく そまりがちだ。
よくかんがえてみると、これらの感動は、
企画当初にあった
「でかい紙に応援メッセージを書いて見送られると」
とは、ほとんど関係がない。
けっきょく、もともとの企画は本来の意味をうしない、
ただ「おおくのひとにみおくられると うれしい」
という事実だけが わかれの本質としてうかびあがる。
江ノ島氏のこんごの活躍に期待したい。
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