2017年07月16日

『熱風』での対談「仕事と家庭」 家庭のやりくりがいかにむつかしいか

ジブリのフリー小冊子、『熱風』7月号に、
鈴木敏夫さんと森健さんによる対談
「仕事と家庭」がのっていた。
森健さんは、クロネコヤマトの経営者として有名な
小倉昌男さんを取材した『祈りと経営』により、
大宅壮一メモリアルノンフィクション大賞を受賞している。
経営者として超一流だった小倉氏だけど、
家庭においては配偶者・子どもたちと
いろいろな問題をかかえていたようで、
この対談では仕事と家庭はべつものという視点が、
くりかえしかたられている。
想像だけど、やっぱり家庭が落ち着かなかったから仕事に逃げた、だから仕事が成功した、そういう関係にあったんじゃないかなって思うけど。だってびっくりするぐらい仕事で頑張るわけでしょ。運輸省との交渉、規制緩和の問題を平気で交渉していたわけですよ。それは家庭で抱えていた問題に対するいらつき、その解消の意味でもあったと、撲なんかは読んでいたけどね。(鈴木)

わたしも、自分の「仕事と家庭」についてかんがえてみる。
仕事は、もうほとんど軸足をのこしておらず、
いわれたことだけは粛々とやるけど、
地味でやる気のとぼしい職員だ。
いわれたらやるし、常識の範囲内で
意見をだしたりはするけど、それ以上の存在ではない。
かといって、そのぶん家庭にエネルギーをそそいでいるかというと、
けしてそんなことはなく、
自分の部屋にひきこもり、すきなことだけをする
ろくでもない夫であり父親だ。
とうぜんながら、家庭はあたたかな雰囲気につつまれたりはしない。
ネコのピピは、もうすこしわたしを評価してくれそうな気がするけど、
ネコなので発言力はあまりたかくない。

30代のころは、いまとくらべものにならないぐらい仕事をした。
行政からの補助がすくなく、きわめて貧乏な事業所だったので、
自分たちで運営費をかせがなくてはならなかった。
日用品のバザーをひらいたり、映画会や音楽会を企画して、
サービス残業があたりまえだったし、休日にも職場にでていた。
本業の介護についての専門知識はとぼしかったけど、
事業所の経営を、仲間たちと必死にささえていた。

そうしたがんばりを、配偶者がみとめていたかというと、
たいしていまとかわらないような気がする。
つまり、仕事にうちこもうが、そうでなかろうが、
家におけるわたしのポジションは たいしてかわりはない。
わたしの意識は、一貫して
家庭にはむけられていなかったのだろうか。
そうだともいえるし、それなりに最善をつくしたともいえる。
その程度の意識では うまくいかないほど、
家庭はむつかしい問題なのだ。

鈴木さんと森さんの対談をよみ、
わたしの家庭だけが、うまくいってないわけではないと、
なんだか安心させられた。
むしろ、うまくいってないのがあたりまえと、
おおくのひとが はじめからあきらめるほど、
家庭をうまくまとめるのはむつかしい。
おなじ空気をすい、おなじテーブルで食事をとるだけでも、
それはそれで、ひとつの家庭のありかただと、
ひくいところから みつめなおしたほうが うまくいきそうだ。
きのうはわたしの誕生日で、
配偶者はいつものように半袖シャツとTシャツをくれた。
いったいそれ以上、なにをのぞめというのか。

スポンサードリンク



posted by カルピス at 22:09 | Comment(0) | TrackBack(0) | 家族 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:


この記事へのトラックバック