2017年07月26日

村上春樹の「午後の最後の芝生」にでてくる女性は、防衛家のヒトビトの「母さん」だ

村上春樹の「午後の最後の芝生」にでてくる女性は
なんだかかわったはなしかたをする。
まえの記事で、ジャンヌ=モローにいている、
なんてかいたこともある。
http://parupisupipi.seesaa.net/article/368213203.html
「亭主は休みになると芝生ばかり刈ってたよ。それほど変人ってわけでもなかったんだけどね」(中略)
「亭主が死んでからは」と女は言った。「ずっと業者に来てもらってんだよ。あたしは太陽に弱いし、娘は日焼けを嫌がるしさ。ま、日焼けはべつにしたって若い女の子が芝刈りなんてやるわきゃないけどね」

このまえふとおもいついた。
この女性は、朝日新聞に連載ちゅうのマンガ、
「地球防衛家のヒトビト」(しりあがり寿)にでてくる「母さん」だ。
もし本人でなければ、「最後の芝生」にでてくる女性のいもうとさんが
「母さん」かもしれない。
ややこしい関係だけど、ふたりとも雰囲気がそっくりなのだ。

でも、「母さん」を小説の中年女性にすえると、
ものがたりのふかみがまるでちがってくる。
小説をかいたことがないのでよくわからないけど、
登場人物をひとりいれかえるだけで、
小説はまるでちがう作品になってしまうのに気づいた。
「最後の芝生」の中年女性と、「防衛家のお母さん」は、
たとえよくにたしゃべりかただったとしても、
いれかえがきかない存在だ。
おたがいに、自分のホームでないと生きられない。

『55歳からのハローライフ』(村上龍)に、
「空を飛ぶ夢をもう一度」という短編がおさめられている。
重病の友人につきそいながら、
バスにのって さいごの旅にでかけるはなしだ。
あらすじはすこしもにてないのに、
ふるいアメリカ映画『真夜中のカウボーイ』のラストをおもわせる。
登場人物のひととなりは、映画とぜんぜんちがうのに、
その場面の雰囲気がよくにているので、パクリにみえてしまう。
パクリといってわるければ、
オマージュでも、インスパイアでもいいけれど、
村上龍さんは、確信的に『真夜中のカウボーイ』を
自分の小説にとりこんでいる。

小説のなかに、雰囲気はにているけど、
キャラクターとしてはぜんぜんちがうひとをもってくると、
作品世界がまったくくずれてしまう。
それに対し、病人をバスにつれこむ設定だけがおなじで、
あとはまるでちがう状況をえがいていても、
元ネタがすぐにわかる作品もある。

なぜいっぽうは、にていても、とりかえがきかないのに、
もういっぽうは、にてないのに、全体の雰囲気がいっしょになるのか。
いいところをついたつもりだったけど、
このままではうまく整理できていない。
この夏の課題としたい。

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posted by カルピス at 22:24 | Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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