「こわがりが厳選するうますぎてもはやおそろしい食べ物6品」
(古賀及子)にかんがえさせられた。
http://portal.nifty.com/kiji/170721200216_1.htm
ふつうによむと、なんのことだかわからないのではないか。
ポイントは「うますぎてもはやおそろしい」にある。
お店でうっているたべものは、
「おいしい」とおもってもらえるように
工夫をこらしているわけだけど、
それにしても限度がありはしないか、という問題提起だ。
一線をこえてしまえば、「うますぎてもはやおそろしい」
世界へと いっきに突入する。
たべもの関係の記事はふつう、
基本的に「おいしい」ものを紹介している。
でも、はたしてほんとうに
「おいしい」をもとめつづけて いいのだろうか。
まってるのは、もしかしたら地獄かもしれない。
それらの反省から、いろんな食材と時間を、
あれもこれもつぎこんで「おいしい」を目ざすのではなく、
おいしさの さらにさきにあるものに
世のなかが目をむけるようになった。
デイリーポータルZでいうと、
「弁当をパフェにする」や
http://portal.nifty.com/kiji/160725197049_1.htm
「揚げ物に油をかけると、すっげーウマい」
http://portal.nifty.com/kiji/170314199029_1.htm
みたいな記事を、このごろひんぱんにみかける。
グルメだなどと、はしゃぎすぎた反動が、
こういううごきとしてあらわれたのだろう。
問題は、記事にあげられた6つの商品が、
はたしてわたしにとっても「うますぎてもはやおそろしい」
とかんじられるかどうかだ。
たとえばラジオをきいていると、歌に関するわたしの感性は、
どうもあまり敏感ではないようにおもえてくる。
司会者とゲストが「いい曲ですね〜」と
もりあがっているのに、わたしにはさっぱりな曲のほうがおおい。
ラジオ番組だから、むりして感動しているときもあるだろうけど、
そればかりではないはずだ。
おなじように、わたしはいわゆる味覚オンチのような気がする。
そもそもおいしいものをほとんどもとめないし、
おいしいとかんじるものは、
やすくて量のあるたべものであることがおおい。
脳みそが、味覚よりも生存に有利なほうをもとめるからだろう。
「うますぎてもはやおそろしい」かどうかは、
味覚にたいする共通の感覚を前提としている。
そのうえで、過剰なうわのせを「もはやおそろしい」レベルと、
評価するあそびごころが この記事の骨子だ。
わたしの味覚は、まだそこまでたどりついていない。
たべものの進化が どのようにこわいか 気になってくる。
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