(ジュゼッペ=トルナトーレ:監督・1988年・イタリア)
まえにいちどみたことがあるけど、
このごろたびたびこの作品の名前や音楽が耳にはいるので、
なんとなく気になっていた。
図書館でかりて、もういちどみてみる。
(以下、ネタバレあり)
おもしろいけど、こんな内容だったっけ。
とくに、さいごのほうは、まったく記憶にない。
とおもっていたら、どうもこの作品には、
劇場公開版と、完全オリジナル版があるようで、
まえにわたしがみたのはおそらく劇場公開版だったのだろう。
有名なラストをみても、わたしにはピンとこなかった。
自主規制していたキスシーンをあつめただけじゃないか。
そんな程度にしか行間をよみとれないわたしは、
いかに映画オンチかをおもいしらされる。
そうか。ふたりの愛をじゃましたのは、
アルフレードのしわざだったのか。
いまさらどうしようもないけど、
もしわたしがそんなことをされたら 納得できそうにない。
有名になるより、すきな女性とむすばれたいにきまっている。
劇場公開版と完全オリジナル版とのちがいは、
テーマを映画への愛にするか、
女性への愛にするかのちがいかもしれない。
それにしても、キスシーンがこれだけあつまると
キスというのがじつに自然な行為なのだとわかる。
はずかしがらずに、せいいっぱいキスしておかなくては。
なきながらスクリーンをみて、
おもわずつぎのセリフをくちにする男性。
完全にこころをときはなち、おおわらいしている男性。
映画には、みているひとのこころを浄化するちからがある。
映画はかつて、こんなにもひとびとが必要とし、
くらしのなかにしっかりと根づいていた。
ないたり わらったりの娯楽というよりも、
生きていくうえで、なくてはならない存在だった。
映画そのものをあつかった作品がたくさんあるなかで、
なんだかんだいっても、けっきょくは
『ニュー・シネマ・パラダイス』にとどめをさす。
映画へのおもいに、いまも むかしもない。
作品の理解にちがいがあっても、
映画がすきなひとには、たまらない作品だ。
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