55歳をむかえた感想がかきこんであった。
いちねんまえの誕生日とくらべても、
つかれがとれにくく、無理がきかなくなったという。
なによりも、将来の不安がかかれていた。
計画的な人生設計のもとにくらしてきたわけではないので、
貯金はわずかしかないらしく、
年金がどうなるか、うけとれるまで健康でいられるかなど、
歳がちかいせいか、わたしとおなじような不安をかかえておられる。
ものすごく共感しながら 老いをむかえつつある心境をよんだ。
わたしのこころずもりとしては、
年金をうけとれる65歳まで、なんとか仕事をつづけ、
それからはアルバイト程度の仕事と年金で
ささやかにくらしていけたらありがたい。
ただ、それも「このままいけば」というはなしであり、
健康に問題をかかえたり、家族への介護が必要になった場合、
わたしが絵にかいてるような生活は
たちどころになりたたなくなる。
歳をとればとるほど、リスクはたかまるわけで、
けっきょくは、いつまで生きるつもりなのかが 鍵をにぎっている。
ピンピンコロリをだれもがねがうように、
わたしの予定も 死ぬまでげんきにくらし、
そこからバタバタっとみじかい期間の「さいご」をむかえるという
虫のいいねがいのもとになりたっている。
具体的には、75歳まで生きられたら、それでじゅうぶんだ。
とすれば、あと20年。
予定どおり、75歳の誕生日をむかえたときに、
わたしのからだと精神は、どんな状況をむかえているだろう。
このまえ利用者のおでかけにつきそったとき、
バッティングセンターであそぶ機会があった。
わたしといっしょにいったひとが、コインをいれすぎてしまい、
いつまでも いつまでもボールがとんでくる。
バッティングにあきたそのひとが、わたしにバットをわたしたので、
かつて野球少年だったわたしは、どれどれと打席にたつ。
バッティングマシーンに設定されているスピードは、時速80キロ。
プロ野球でしめされるスピードの半分ていどだ。
プロだったら、超スローボールであるそのスピードでさえ、
わたしはまったくバットにあてられなかった。
ほんとうに、かすりもしない。
なれたら そのうちあたるようになるともおもえない。
いまのわたしは、おそらくキャッチボールもむつかしいのではないか。
ノックをうけても、ボールのスピードに
からだがついていきそうにない。
歳をとるとは、こういうことなのかと しみじみおもいしらされる。
わかいころのイメージがあたまにのこっているのに、
からだはそのとおりにうごいてくれない。
むかしよくあそんだテニスやバドミントンも、
きっとおなじように残念なうごきしかできないだろう。
脳がからだに命令しても、からだがうごかない事実に
自分のことながらとまどってしまう。
75歳まであと20年。
これからどんな現実がわたしをまっているのか。
そうした老いを、どうしたらしずかにうけいれられるのか。
だれもが老いをむかえるのに、
なんでこんなにこころがまえが さだまらないのだろう。
はじめてむかえる老いは、わからないことばかりだ。
スポンサードリンク