たまたま手にしたマンガに、創意工夫の極意がかたられていた。
各話よみきりのストーリーは、毎回おなじながれだ。
主人公の青年が、いきだおれ寸前でたすけられ、
「ラーメンがたべたい・・・」とうわごとをつぶやく。
彼にかかわったひとたちは みんな親切で、
ちかくのラーメン屋さん
(なにかと問題をかかえている)へつれていき、
すきっぱらをとにかく解決しようとラーメンをたべさせる。
この青年は、じつはメンをうつことにかけて
ものすごい実力者で、2000とおりのラーメンをつくれるという。
彼がつくるものすごくおいしいラーメンにより、
お店は人気をとりもどしていく。
青年が、ラーメンにかたむける愛はすさまじく、
ラーメンによってひとをしあわせにできるとしんじている。
そしてさいごにかならず
いつだって答えは はるか彼方にある
と、ラーメン道の奥ぶかさがかたられるのだ。
はじめこれを「後方(こうほう)」とかいてあるのかとおもった。
すでにこころみてきた工夫のなかに、
こたえはちゃんとあるのだ、という意味だとおもった。
なんというふかいことばだろう。
こたえが、はるか前方にあるのはあたりまえだけど、
はるか後方にあった、というのは
現実の意外性をさりげなくあらわしている。
いろいろためしてみたものの、
けっきょくはじめのこころみがいちばんいいところをついていた、
というのをわたしはなんどか経験している。
なにかを計画したときも、
さらにそれをよくしようといろいろおもいつくけど、
たいていは、もとの計画のまますすめたほうが、まちがいない。
なにかが必要になり、あたらしくかわなくては、
とおもっていたものを、
じつはすでにもっていた、なんてのもわりとよくある。
あくまでも、わたしは、のはなしであり、
いろいろ工夫するなかで、レベルをたかめていった経験のあるひとは、
それなりにふかい人生を味わっておられるのだろう。
残念ながらわたしはそうでないことがおおかったので、
その学習をいかし、だんだんと工夫しない人間になったみたいだ。
「はるか 彼方にある」よりも、
「はるか 後方にあった」のほうがおもしろいとおもうけど。
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