「オトナになった女子たちへ」(朝日新聞)。
今回はハロウィーンがテーマだ。
オバケがお菓子をとどけてくれる、でも、
かぼちゃをたべる、でもない。
しってるようで、よくわからないハロウィーンって、なんだ。
伊藤さんによると、
「わたしまできたら売れっ子」
フッ。えらそうだが。わたしが耳にするくらいになったら、その芸人さんはもう売れっ子だ。ここまで来い。
この心理は、わたしにもおもいあたる。
ただし、「ここまで来い」とまで、つよ気にはなれない。
どちらかといえば、わたしがかってにすりよっている。
すでに人気がでているものについて、
わたしは「いいなー」とおもうようだ。
すこしまえの例では、ラグビーの日本代表だったり、
「あまちゃん」だったりする。
ようするに、ミーハーなのだろう。
伊藤さんの関係者では、
長野にすむご両親まで ハロウィーンがきたというのだから、
文句なしに社会現象といえるだろう。
わたしの母は、伊藤さんのご両親よりも高齢なせいか、
なにかあたらしいうごきにたいしては、ほとんど関心をしめさない。
携帯電話(ガラケー)を、つかう気はぜんぜんないし、
ファッションも完全にあきらめている。
たのしみは日曜日の大河ドラマと、朝の連続テレビ小説だ。
ただ、健康法については
もういつ死んでもいい、といいながら、
たべものや運動をいろいろためしている。
よみかけの本を、わたしが机にのせていたら、
低炭水化物食やMEC食の本には すかさず関心をしめした。
母になにかあれば、介護がたいへんなので、
わたしとしても、げんきでいてくれるほうがありがたい。
納豆とヨーグルトをかかさないし、
まえはごぼう茶を自分でつくっていた。
老人も魚より肉を、ときいてからは、
肉食の老女となっている。
なが生きと健康は、すべてのひとがのぞむぼんのうなので、
はやりとはべつにとらえたほうがいいみたいだ。
わたしの母までハロウィーンがきたら、
もはや流行のレベルではなく、革命というべきだろう。
世のなかが平和であるためにも、
母にはハロウィーンからとおい存在であってほしい。
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