2017年11月03日

伊藤理佐さんの「わたしまできたら売れっ子」に共感する

ひいきにしている伊藤理佐さんの連載
「オトナになった女子たちへ」(朝日新聞)。
今回はハロウィーンがテーマだ。
オバケがお菓子をとどけてくれる、でも、
かぼちゃをたべる、でもない。
しってるようで、よくわからないハロウィーンって、なんだ。
伊藤さんによると、
「わたしまできたら売れっ子」
フッ。えらそうだが。わたしが耳にするくらいになったら、その芸人さんはもう売れっ子だ。ここまで来い。

この心理は、わたしにもおもいあたる。
ただし、「ここまで来い」とまで、つよ気にはなれない。
どちらかといえば、わたしがかってにすりよっている。
すでに人気がでているものについて、
わたしは「いいなー」とおもうようだ。
すこしまえの例では、ラグビーの日本代表だったり、
「あまちゃん」だったりする。
ようするに、ミーハーなのだろう。

伊藤さんの関係者では、
長野にすむご両親まで ハロウィーンがきたというのだから、
文句なしに社会現象といえるだろう。
わたしの母は、伊藤さんのご両親よりも高齢なせいか、
なにかあたらしいうごきにたいしては、ほとんど関心をしめさない。
携帯電話(ガラケー)を、つかう気はぜんぜんないし、
ファッションも完全にあきらめている。
たのしみは日曜日の大河ドラマと、朝の連続テレビ小説だ。

ただ、健康法については
もういつ死んでもいい、といいながら、
たべものや運動をいろいろためしている。
よみかけの本を、わたしが机にのせていたら、
低炭水化物食やMEC食の本には すかさず関心をしめした。
母になにかあれば、介護がたいへんなので、
わたしとしても、げんきでいてくれるほうがありがたい。
納豆とヨーグルトをかかさないし、
まえはごぼう茶を自分でつくっていた。
老人も魚より肉を、ときいてからは、
肉食の老女となっている。
なが生きと健康は、すべてのひとがのぞむぼんのうなので、
はやりとはべつにとらえたほうがいいみたいだ。

わたしの母までハロウィーンがきたら、
もはや流行のレベルではなく、革命というべきだろう。
世のなかが平和であるためにも、
母にはハロウィーンからとおい存在であってほしい。

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posted by カルピス at 17:35 | Comment(0) | 伊藤理佐 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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