3隻の原子力空母が朝鮮半島ちかくに展開したという。
わたしの関心は、これらの空母が、
北朝鮮への圧力となったかどうかではなく、
それぞれの空母にどれくらいの兵士がのり、
彼らが生活するのに必要な資材を
どう調達したらいいのかという、具体的な対応方法にある。
職場の同僚にはなしたら、空母だからヘリコプターや飛行機で、
どーんと補給できるでしょう、といわれた。
たしかに。
でも、膨大な水や燃料はどうするのか。
運行しながら補給できる 給水船やタンカーがあるとはいえ、
しっかりした港が必要な場合もでてくるだろう。
船にのりっぱなしでは精神的にながくつづかないので、
ときには娯楽施設のある港にたちより、うさばらしもしたい。
じっさいの戦闘よりも、そうした補給についてかんがえただけでも、
あまりのややこしさに頭をかかえてしまう。
ちなみに、おなじ原子力空母であるジョージ=ワシントは、
士官・兵員3200名、航空要員2480名と、ウィキペディアにあった。
合計5700名ちかくの人間が、安定した精神状態をたもつためには、
どれくらいの資材が必要なのだろう。
きっと、献立には工夫がこらされており、
栄養にみちて、あきのこない食事が提供されているはずだ。
ジョージ=ワシント号の調理場と貯蔵庫をみてみたい。
なんにんのコックさんがいて、
どれくらいのビール、何キロの牛肉がつみこまれているのか。
必要なニンジンはどこに発注するのだろう。
ものすごくかんがえられたシステムがなければ、軍隊を維持できない。
原子力空母とは、なんの関係もないけど、
何万年ものむかし、人類の祖先が巨大なマンモスをたおしたとき、
大量の肉をどうやって保存したのだろう。
うまく獲物をたおせたとしても、そのあとの解体や保存は
そうとうたいへんだったのでは。
梅棹忠夫さんの『サバンナの記録』(朝日選書)には、
アフリカのサバンナにくらすティンディガのひとたちが、
カバをしとめたときのようすが紹介されている。
5家族が現場に「ひっこし」をしてきて、
たべつくすまで 腰をすえてたべつづけたという。
たべて、ねむり、目がさめるとまたたべて、
3日後にはおおきな骨以外の すべてがなくなったという。
1965年におこなわれた調査のときでさえ、
保存を工夫するより、たべつくす方法が観察されているのだから、
マンモスをしとめたときの古代人も、
きっとおなじように一族があつまってきて、
たべつくしたのではないか。
食糧を手にいれたときのこうした分配方法が、
たすけあい、わけあって生きていく形で定着したのだろう。
いまさら補給や貯蔵が悪の根源だとまではいわないけれど、
貯蔵技術がなかったころのシンプルなくらしなら、
おおきな戦争など できっこなかった。
貯蔵への工夫は、耳をかしてはならない 悪魔のささやきだった。
スポンサードリンク