たしかに。
でも、苦手については、すこしぐらいゆるされるのではないか。
なにかをきらいなことに理由はないけど、
なんで苦手かのなかには、わたしの深層心理にかんする
普遍的な問題点がかくされているかもしれない。
というわけで、さだまさしさん。
先日NHK-FMの「歌謡スクランブル」をきいていたら、
昭和・平成のヒット曲集を特集していた。
月曜日に昭和のふるい歌からはじまり、
だんだん時代をさかのぼって 金曜日には平成の曲にいたる。
わたしはさだまさしさんが苦手で、
あのひとの曲がかかると たいていすぐにチャンネルをかえるけど、
この日は、ヒット曲のながれをおいかけたかったので、
「関白宣言」がかかっても そのままききつづけた。
ひさしぶの「関白宣言」だ。
なんでわざわざこんな曲をつくったのか理解にくるしむ。
なんどきいても、感想はかわらない。
歌ってる本人は冗談だというかもしれないけど
冗談でも ああいう 歌詞が出るのは、
ほんとのところは、冗談でないからだろう。
自民党の議員が、どこかで問題発言をしてしまい、
「ジョークだから」と いいわけする場面をおもいだした。
なぜわたしはさだまさしさんが苦手なのか。
よくある現象として、さだまさしさんのなかに、
かくしている自分をかんじとってしまい、
なるべく距離をおきたくなるのかもしれない。
さだまさし的な要素が「関白宣言」にはつめこまれており、
だからこそつよく反発してしまうのでは。
あまりかんがえたくない仮説だけど、
つよく否定する裏には、それなりの理由があるはずだ。
自分という人間の存在基盤を あやうくしかねないので、
無意識のうちにさだまさしさんを
とおざけているとしたら かなり残念だ。
ネガティブな感情をあつかうのはむつかしい。
きらいでも苦手でも、わざわざブログにかくのは
やめたほうがいいみたいだ。
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