「幸せのかたち」(朝日新聞連載)に、
デンマークのしあわせがとりあげられていた。
北欧は、手あつい福祉国家として、
うらやましいけど、どーせマネできないしくみだろうと、
はじめからあきらめてしまう。ほとんどヒガミだ。
でも、記事によると、
「ヒュッゲ」というお手がるな方法でしあわせになれるという。
方法というか、感覚のはなしだ。
「ヒュッゲ」とは、
心が温かくなるような感覚を表す言葉で、毎日何度も使い、さりげない瞬間の幸福を確認するらしい。
らしい、というのは、記事をかいているライターも、
よくわかっている感覚ではないからだろう。
村上春樹さんがいう小確幸は、
そこにいたる勝利の方程式みたいなのがあるていどきまっている。
ヒュッゲは、もうすこしぼんやりしており、
確固たる存在ではないような気がする。
うかうかしていたら、もうすこしでくるかとおもっていた
せっかくの「ヒュッゲ」を、
スルッと、とりにがしてしまうので、油断ならない。
きのうは夕方からひえこんできて、雪がつもりはじめる。
利用者をおうちにおくるたびに、
送迎車が雪にはまってうごかなくなる。
事業所にもどるまで、いつもの倍くらい時間がかかった。
ありあわせのもので夕ごはんをすませようとおもったけど、
寒波がもしつづけば、家に食糧がないのはさみしいので
かえりにスーパーへよってキャベツやらサバ缶やらをかう。
備蓄にはげむのが、わたしの趣味みたいなものだ。
もしわたしがリスやクマだったら、
さぞかし熱心に冬ごもりの準備をすすめるだろう。
夕ごはんをつくり、家族でたべ、あとかたづけをすませ、
なんだかんだと時間はすぎてゆき、
寝酒をもってベッドにたどりついたのは12時まえだ。
雪で日常がめちゃくちゃになったにもかかわらず、
なんだかいい気分なのに気づいた。
もしかしたら、これが「ヒュッゲ」では、とおもった。
からだが適度につかれ、
部屋はじゅうぶんにあたたかく、
気もちはリラックスできている状態で、
ふと いつもとはちがうあわせをかんじた。
北欧型の手あつい福祉は実現できなくても、
ヒュッゲならなんとかマネできるかもしれない。
気をつけなければらないのは、
1杯のはずではじめる寝酒が、2杯や3杯になると
ヒュッゲではなく、酩酊へ、ふつかよいへとうつりそうだ。
きのうは あぶないところで2杯目を我慢した。
わたしのヒュッゲは、ささやかなバランスのうえで
かろうじてなりたっている。
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