「本当の子供」というはなしがのっていた。
犬のラピとネコのラミーが わかい夫婦にかわれていて、
ラピは自分がその家の子どもであると
当然のようにふるまっている。
あとからきた子ネコのラミーは、自分がほんとうに
その家の子どもとしてうけいれられているのか、
まだどこか遠慮したところがある。
お父さんが雪かきをするというと、
ラピは自分もいくといってはしゃぎだす。
ラミーは、いっぽひいており、
「お父さんとお母さん 大好きだから
ぜったい嫌われたくない」
と、わがままをいわず、
家のなかからふたりのようすをながめている。
それでもお母さんが、「ラミー 私達も雪かき 行こうか」
とさそうと、ラミーもお母さんにおんぶされて外にでた。
近所のわかものが、
「わ、猫!? それも永沢さんちの子供?」
とたずねると、
お母さんは「いや この子は・・・子供じゃないわね」
という。
ラミーは、いっしゅんネコの顔になって こころをとざす。
やっぱり、ぼくはこの家の子供じゃないんだ、と
お母さんが口にする つぎのことばを 身をかたくしてまつ。
お母さんは、いうのだった。
「この子はまだ小さいから 孫」
それをきいたときのハッとしたラミーの表情がいとおしい。
わたしがいっしょにくらしているネコのピピは、
ラミーほど気をつかってくれない。
ごはんがほしければ、夜中でもカンヅメをあけさせるし、
トイレまでいくのをめんどくさがって
ふとんのうえでおしっこをしたり。
同居している母は、ピピのことを「ピピさん」とよんでいる。
ピピがお世話をさせてあげている、という関係みたいだ。
母の部屋のこたつ布団をおしっこでぬらしても、
母はおこらずに、現実的な対応(あらったり、かわかしたり)をする。
わたしはピピをどうおもっているだろう。
子どもかとたずねられたら 子どものような気がするけど、
子どもでもネコでもない なにか、というのが
いちばんしっくりくる。
いまでもピピは、夜のきまった時間にわたしの部屋にきて、
あまえた声をあげ だっこをせがむ。
顔をちかづけて、ハナをスリスリしてくれる。
もう16年もいっしょにいると、
生きつづけてくれてありがうとしかいえない。
スポンサードリンク