梅棹忠夫さんたちの調査隊は、
タイ北部のファーンにある温泉をたずねている。
ゆたかな湯のわきでる温泉があるのに、
なんの設備もほどこされていないと 梅棹さんはおどろいている。
わたしは日本のことを思った。日本で、これだけ湧出量の豊富な泉源が発見されたら、えらいことになるところだ。いまごろは、このあたりいちめんに旅館やら芸者屋やらができているところだ。しかし、ここには一軒の家もない。まわりの原始林は、静まりかえって音もない。この国では、これだけの資源をもちながら、ほとんど利用しようともしていないのである。『東南アジア紀行(上)』p248
わたしがファーンの温泉へいったのは、
梅棹さんたちの旅行から60年ちかくたっていたので、
さすがに立派な入浴施設ができていた。
ただ、どうしても浴場がプールみたいになるようで、
日本のような温泉気分は味わえない。
温泉は世界じゅうにあるのに、
日本のようにたのしんでいる国はないらしい。
冬のさむい夜、お風呂につかってあたたまるよろこびは、
なにごとにもかえられない。
ことしの冬みたいにさむい日がつづくと、
お風呂なしでほかの国はよくやってられるなとおもう。
タイで日本風の温泉が発達しないのは、
冬のさむさがないためだろうか。
タイを旅行したとき、これまで3つの温泉にいったけど、
プールみたいなお風呂か、
個室でも、熱湯をバスタブにそそぎいれるタイプで、
温泉からイメージされるやわらかさからはほどとおい。
あつければいいんだろ、みたいな猛々しさをかんじた。
もうひとつは、パーイでいった温泉のように、
温泉がわきでる池を、自然公園として
そのままのこしているタイプだ。
梅棹さんがファーンで体験した温泉も
こんなかんじだったのだろう。
ただの池なので、快適な入浴とはいえず、
それなのに入園料として
300バーツ(1000円ちょっと)もとられた。
なぜ日本だけで温泉が発達したのだろう。
それをテーマにしたのが
ヤマザキマリさんの『テルマエ・ロマエ』なのだろう。
日本人のわたしからみると、
いかにローマ帝国がさかえていたといっても、
温泉については日本式のほうがずっと気もちよくすごせる。
わたしはモロッコでハマムとよばれる風呂にいったことがある。
うすぐらいむし風呂で、めずらしい体験ではあったけど、
日本のお風呂とはくらべものにならない。
ローマ帝国の風呂も、基本的には
ハマムをおおきくしたようなものではないか。
クールジャパンで温泉をとりあげたとき、
スーパー銭湯がすごくたのしそうだ。
まえに県外の友だちとはなしていて、
「スーパー銭湯」といわれても、
わたしはなんのことはわからなかった。
むこうははなしがつうじず、じれったがっている。
島根には、スーパー銭湯がないので、
わたしが理解できなかったのは無理もない。
島根には、温泉がたくさんありすぎて、
スーパー銭湯なんて必要ないのだ きっと。
ソウルではいった入浴施設が
いまおもえばスーパー銭湯みたいだった。
サウナみたいなむし風呂や、
ただのあったかい部屋にしかおもえない空間など、
いくつかの「お風呂」があり、
体操服みたいな服にきがえるので、
男女がいっしょにお風呂ですごせる。
すっぱだかの日本式もいいけど、
ソウルみたいに服をきるお風呂も
それはそれでたのしめた。
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