月に3冊は本をよまなければとか、
できるだけインプットにつとめようとおもっている。
でも、かんがえてみれば、なんのためだっけ。
つきつめてみれば、ものすごく漠然とした状況設定だけど、
わたしのまえに魅力的なひとがあらわれたとき、
頭からっぽでは、あいてにしてもらえないから、
が動機のかなりの部分をしめている。
そのひとに値するだけの、
内容をともなった人間でありたい。
冗談ではなくて、わりと本気でそうおもいこんでいた。
何歳になっても可能性がゼロになるわけではないけど、
いまとなってはほとんどありえない状況だ。
だったら映画や本はもういいか、とはならないので、
けして魅力的な女性だけのためではなく、
まともな人間として、みたいな教養主義的な傾向が
わたしのなかにあるのかもしれない。
生きているかぎり、最低限こなさなければならない
義務みたいなものだ。
そうやって、どう生きてきたかが、
わたしという人間の総力であるわけで、
あたりまえのことだけど、
一日いちにち 手をぬかずに、おくりつづけるしかない。
「夜廻り猫」をよんでいたら、
歩道橋のうえでさみしそうな顔をしているわかい男に
遠藤さんがはなしかけている。
http://www.moae.jp/comic/yomawarineco/370
もし そこな
飲めない酒を飲んだ感じのおまいさん
泣いておるな? 心で
若者は、「寂しい 誰か欲しい」という。
親友か?友達か?と遠藤さんがたずねると、
そこまで高望みしてないよ
かかわれる人が欲しい
話しかけても良い相手
怖がらなくていい相手
一緒に笑うみたいな
と若者はこたえる。
それぐらいの「誰か」は
どこにでもいそうだけど、
遠藤さんは
「もっともだ そういう相手 ほしいよなあ」
と若者のこころによりそっている。
しっかりしろ、それぐらいの相手どこにでもいると、
はげましたり けしかけたりするのではなく、
よりそえるのが遠藤さんのすばらしさだ。
「じゃあ わたしが」
とならないところもいい。
遠藤さんは、これまでに どんな時間をすごしてきたのだろう。
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