うっすらと悲しいことがあるとき、
人はうれしくもない大食に走る。
と糸井さんがかいている。
「うっすら悲しい」がうまい。
たしかに、それほど深刻ではないけれど、
なんとなくかなしい・さみしいというときの気分は、
「うっすら」ということばがぴったりくる。
「なんとなく」とおなじ意味だけど、
もうすこしあやふやな気もちがうまくあらわれている。
「うっすら悲しい」気分はよくわかるけど、
それで大食に走るというのが
ほんとうのところ わたしにはピンとこない。
ただ、「うっすら悲しい」と、大食がむすびつくと、
いかにもかくされていた真理のような気がして感心した。
発見には、こうしたいきおいというか、
もっともらしさがあると説得力がます。
「うっすら」でおもいだすのが、
椎名誠さんがときどきつかう「うすらバカ」だ。
椎名さんの友人である 沢野ひとしさんのことをいうみたいで、
きっぱりとした「バカ」よりも、
うすらバカのほうが もっと本質的なおろかさをかんじる。
「うすらバカ」。
すごくものかなしいし、へなへなとちからがぬける。
「うっすら」より「うすら」は、
さらに悪意がつよまるのではないか。
「うっすら」には、相手へのリスペクトがあるけど、
「うすら」は問答無用にきりすてている。
「うっすら悲しい」はマルだけど、
うすらバカとよばれるのは おことわりしたい。
スポンサードリンク