2018年02月24日

糸井さんによる新発見「うっすらと悲しいことがあるとき、人は・・・」

せんじつの「今日のダーリン」(ほぼ日)に、
うっすらと悲しいことがあるとき、
人はうれしくもない大食に走る。

と糸井さんがかいている。

「うっすら悲しい」がうまい。
たしかに、それほど深刻ではないけれど、
なんとなくかなしい・さみしいというときの気分は、
「うっすら」ということばがぴったりくる。
「なんとなく」とおなじ意味だけど、
もうすこしあやふやな気もちがうまくあらわれている。

「うっすら悲しい」気分はよくわかるけど、
それで大食に走るというのが
ほんとうのところ わたしにはピンとこない。
ただ、「うっすら悲しい」と、大食がむすびつくと、
いかにもかくされていた真理のような気がして感心した。
発見には、こうしたいきおいというか、
もっともらしさがあると説得力がます。

「うっすら」でおもいだすのが、
椎名誠さんがときどきつかう「うすらバカ」だ。
椎名さんの友人である 沢野ひとしさんのことをいうみたいで、
きっぱりとした「バカ」よりも、
うすらバカのほうが もっと本質的なおろかさをかんじる。
「うすらバカ」。
すごくものかなしいし、へなへなとちからがぬける。
「うっすら」より「うすら」は、
さらに悪意がつよまるのではないか。
「うっすら」には、相手へのリスペクトがあるけど、
「うすら」は問答無用にきりすてている。
「うっすら悲しい」はマルだけど、
うすらバカとよばれるのは おことわりしたい。

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posted by カルピス at 20:58 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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