車いすバスケットの京谷和幸さんがとりあげられていた。
京谷さんは、サッカー選手として活躍し、
A代表を目前としていたときに 交通事故で下半身不随となる。
そんな目にあったら、わたしはきっと
いじけたまま たちなおれないだろう。
入院して5日めに、京谷さんが婚約していた女性から、
予定どおり結婚しようとうちあけられる。
ふたりとも、どれだけまよったかは
すこしかんがえただけでわかる。
かんたんな判断ではなかったはずだ。
京谷さんは、そんな婚約者にはげまされ
生きるのぞみがめばえてくる。
さらに婚約者は、バスケットボールマンガ
「スラムダンク」をさしいれしてくれた。
このマンガとのであいが、京谷さんの人生を決定的にかえる。
「あきらめたら そこで試合終了だよ」
とスラムダンクのなかで安西先生がいっている。
そのことばから、京谷さんは
「あきらめないかぎり、なにも終わっていない」
と、もういちど生きなおすちからをえる。
下半身不随にも、いろんな程度があるなかで、
京谷さんは最重度の不随であり、
下半身、そして腹筋と背筋がつかえない。
うでのちからだけでボールをなげ、
車いすをあやつらなければならない。
どれだけたいへんなトレーニングをかさねたのか、
京谷さんは口にしなかったけど、
うでの筋肉がつき、サッカー選手時代よりも、
体重が20キロふえたことからも、
車いすバスケットの選手として
からだをつくりかえたのがわかる。
シドニーからロンドンまでのパラリンピックに、
4大会連続で京谷さんは出場し、
いまは日本代表のコーチをつとめられている。
番組のなかで京谷さんが「スラムダンク」をよみかえしたとき、
おもわず涙をこぼしている。
ストーリーにあらためて感動したというよりも、
このマンガにであったのをきっかけに、
自分がどれだけ努力をかさねてきたかをおもいかえし、
不覚にもあふれてきた涙だ。
京谷さんでなければ、やりなおせなかっただろう、
あたらしい人生でのけわしい道のりをおもうと、
最大限のスタンディオベーションをおくりたくなる。
わたしのしりあいで、3年まえからきゅうに視力がおち、
いまではかすかにみえる程度となった男性がいる。
それまでは、個人営業の電気屋さんをしていたけど、
目がみえなければつづけられないので、
仕事をやめ、車も手ばなし、生活をおおきくかえている。
この4月からは、盲学校でのマッサージ科に入学し、
3年間勉強をしたのちに、マッサージ師をめざしている。
視力の低下について、はっきりとした原因がわからず、
これからもさらに進行するかもしれない心配をかかえている。
でも、そのしりあいは、けしてグチをこばさず、
できる範囲で筋トレにはげみ、
車がとおらない道でのジョギングまではじめている。
身のまわりの支度や、食事の準備など、さぞ不自由だとおもうけど、
ヘルパーさんにはいってもらおうなんて おもっていない。
わたしをふくめ、まわりが協力をもうしでても、
自分にできることは自分でするのが彼の流儀だ。
京谷さんにしても、わたしのしりあいにしても、
こころがよわいわたしには、とてもまねできない道をあゆんでいる。
わたしにできるのは、ときどきしりあいとあってお茶をのみ、
どーでもいい気らくなおしゃべりをするぐらいしかない。
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