病室でねている女性のそばに遠藤さんと重郎がたち、
にっこりわらいかける。
http://www.moae.jp/comic/yomawarineco/387
目をさました女性に
「ああ頑張ったなあ おまいさん おつかれさま」
と遠藤さんがねぎらっている。
病院の、しかも集中治療室らしい部屋に、
遠藤さんたちが どうやってはいりこんだのかは、
今回のはなしに関係ない。
遠藤さんは、たいていの場合、
「頑張ったなあ」とほめてくれる。
そばについれくれ、そういってくれるだけで、
どれだけすくわえるかを わたしはしっている。
日ごろつよがりをいうひとでも、
病気や手術でこころぼそいおもいをしているとき、
ほんとうにこころのささえになるのは、
そばにいてくれるひと、理由など関係なく、
ねぎらってくれるひとだ。
「夜廻り猫」みたいに、ひとでなくて猫でもかまわない。
わたしは以前、歯がひどくいたんだとき、
いっしょにねてくれたネコのピピに
どれだけすくわれたかをおぼえている。
わたしがねがう「最後」は、
病院や家でなくてもいいから、
だれかがそばについてくれ、
「頑張ったなあ」といってくれるどこかだ。
じっさい、この379話は、わたしのように
デリケートな神経をもっていないものには、
なぜ「ありがとう」をいいあっているのか
すこし不思議なはなしだ。
にもかかわらず、意識をとりもどしたときに
みしらぬ猫が2匹いて、「頑張ったなあ」と声をかけられたら、
にっこり「ありがとう」をつたえる女性の気もちがよくわかる。
ほんとうに大切なことは、世のなかにそうたくさんはない。
世界をささえている おもいやりのこころはとてもシンプルだ。
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