2018年04月02日

『オンブレ』(エルモア=レナード・村上春樹:訳・新潮文庫)

『オンブレ』
(エルモア=レナード・村上春樹:訳・新潮文庫)

エルモア=レナードの本は、まだ1冊しかよんだことがなく、
レナードのおもしろさについて わたしはほとんどしらない。
村上春樹さんが訳したのなら、よんでみるかと、
かなり消極的な気もちで手にとった。
1884年が舞台の西部劇だという。
なんで村上さんが西部劇を訳す気になったのだろう。
でも、いったんものがたりにはいりこめれば、
あとはスルスルよめる。
この「スルスル感」が、レナードのもち味のようだ。
主役はジョン=ラッセルという男性で、
タフで銃のあつかいにすぐれ、すごくかっこいい。
わかいけれど あれ地での生き方をよくしっている。
身元ははっきりせず、アパッチのようでもあり、
メキシコ人の血がまじっているようでもある。

場面は、おおきく3つにわかれる。
まずは駅馬車で、目的地をめざし ひたすらすすむ。
それぞれのおもわくから のりあわせることになった6人が、
会話をまじえながら 乗客どうしで腹をさぐっていく。
タランティーノ監督による『ヘイトフル・エイト』をおもいだした。
あの作品でも、はじめの場面で駅馬車が重要な役をはたす。
駅馬車というとざされた空間は、
ひととなりがおもてにあらわれやすい。
天国から地獄へと、かんたんに状況がかわるのも
駅馬車での移動につきものだ。

つぎは、逃走劇へと舞台をうつす。
駅馬車がおそわれてしまい、
のこされたのは わずかな水と食糧になった。
ラッセルのうごきだけをたよりに、
乗客たちは安全な場所までひたすらあるいていく。
敵がどこまでせまっているのかわからない。
ラッセルの冷静で非情な判断が、一行の身をたすける。
かといって、ラッセルには、
乗客たちをたすけようという意思はまったくない。
ついてくるのなら かってにどうぞ、というかんじだ。

さいごは西部劇らしく、銃のうちあいとなる。
たてものにこもり、持久戦の様相をみせたあげく、
ラッセルがとつぜんそれまでとはちがう決断をくだした。
まったく同情をよせなかった人物へ、
敵のまえに身をさらしてまでたすけだそうとうごきだす。
あまりにも意外な展開で、ものがたりがとじられる。

ラッセルの魅力にひかれる作品だ。
映画化されているそうで(『太陽の中の対決』)、
ポール=ニューマンがラッセルをえんじている。
わたしはチャールズ=ブロンソンをおもいうかべてよんだ。
映画のほうもはやくみてみたい。

『オンブレ』には、もうひとつ
『三時十分発ユマ行き』という小説もおさめられている。
みじかいけど、こちらもよませる作品だ。
村上春樹さんが訳した本には、
たいていさいごに「訳者あとがき」がのっている。
これがまたわかりやすく おもしろいのでおすすめだ。
表題の『オンブレ』にくわえてもう一作『三時十分発ユマ行き』、
そして村上さんの解説(のようなもの)がたのしめる。
お得感のつよい本といえるだろう。

ただ、
彼はそこに横になり、目を開けたままスキャレンを見ていた。(273p)

という訳が気になった。
目をあけなければみれないだろうに、
「目を開けたまま・・・見ていた」って、
なんでわざわざそんな表現にしたのだろう。

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posted by カルピス at 22:20 | Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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