『マザリング・サンデー』(グレアム=スウィフト・新潮社)
という本を紹介している。
http://www.webdoku.jp/newshz/matsui/2018/04/11/155023.html
自分が90歳まで生きたとして、人生のどの日のことをいちばんはっきり思い出すだろう? 結婚した日? 息子たちが生まれた日? ジェーンにとっては、 それが1942年のマザリング・サンデーだった。
本の内容はともかくとして、
「人生のどの日のことをいちばんはっきり思い出すだろう?」
というといかけに興味がわいた。
わたしにおける人生のクライマックスはいつだったのか。
『キッズ・リターン』のふたりなら
「まだはじまってもいない」とうそぶくかもしれないけど、
50をはるかにすぎたわたしがいうには
さすがにずうずうしすぎる。
しかし、あんがいこれからクライマックスをむかえるかも、
というねがいをたしかにもっている。
具体的には、ちかい将来に予定している
サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼は、
強烈なおもいでをのこしてくれだろうと期待している。
歳をとり、おもうようにならないからだをかかえての巡礼は、
必然的にわたしの全力をもとめるような気がするからだ。
あるいは、人生にクライマックスなんていらない、
というかんがえ方もある。
わたしは、どちらかというと そんなスタンスで生きてきた。
人生に目標はなく、なんとなくおわりをむかえる、
というながれに価値をおいている。
とはいえ、そんな人生をおくったひとでも、
死をむかえたときに ふとおもいうかべる日がきっとある。
ジェーンにとってそれがマザリングサンデーだったように、
わたしの過去に、恋愛がらみで そんな日があっただろうか。
あるいは水泳の大会で、
目標にしていた1位がとれたときだろうか。
いまのわたしは、はっきりと
あれがクライマックスだった、とおもいうかべられない。
だとしたら、きっと、わたしのクライマックスは
これからおとずれるのだろう。
なにもないまま、ぼんやり死ぬのもわるくないけど、
さいごにもうひとやまあるとおもえば なんだかたのしい。
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