2018年04月19日

すぐれた曲のおおくは、あんがいだれがうたってもヒットしたのでは

運転しながらラジオをきいていると、
ときどきものすごく有名で、こころをとらえる曲がかかる。
あんまりいい曲なので、これぐらい圧倒的にとびぬけていたら、
もしかりに たいへん歌がにがてなわたしがうたったとしても、
それなりにヒットしたんじゃないか、なんておもえてくる。
たとえば
ボブ=マーリーの「ワンラブ」、
ベッド=ミドラーの「ローズ」、
ルイ=アームストロング「この素晴らしき世界」。

もちろんこれ以外にも、すばらしい曲はたくさんある。
しかし、ほんとうに胸にひびいてくる曲は、
あんがいすくないもので、
それ以外のほとんどは人畜無害な曲だ。

おおざっぱにいってしまえば、
世の中には3種類の曲しかない。
ものすごくいい曲か、
そこそこな曲か、
どうでもいい曲。

ものすごくいい曲は、
乱暴ないいかたをあえてすれば、
だれがうたっても きくひとの胸に
なにがしかのメッセージをとどけられる曲。
さきにあげた「ワンラブ」などがこれにあたる。

そこそこな曲は、
すでに名がしられているひとがうたっているから、
なんとなくヒット曲あつかいされているけど、
どうしてもその曲でないと、
というほどの存在感はない。
ある意味で、親の七光り的な曲といえる。
とはいえ、ちゃんと歌で勝負しようとしている態度は評価できる。
自民党の世襲議員みたいに、
本人はなんのとりえもないのに、
親の地盤をそっくりゆずりうけるほど悪質ではない。

そして、それ以外の圧倒的多数は、
どうでもいい曲だ。
ほとんどの曲は、このカテゴリーにはいる。

がんばってヒットさせようとおもった時点で、
その曲はすでにまちがっている。
いい曲は、もっとまえの段階できまっており、
努力してどうこうなるものではない。
どうこうなるような曲は、そもそも名曲ではない。

小説などは、たとえー作しかうれなかったとしても、
だれでもかける本ではない。
その作家らしいなにかがあったからヒットしたり、
名のしれた賞をもらえたりする。
それにひきかえ、歌の場合は、
だれがうたっても あるていどはうれたのでは、
という曲があんがいおおくはないか。

だれがうたってもヒットする曲かどうかは、
だれかがわたしにすぐれた曲をプレゼントしてくれて、
その曲が楽々と大ヒットを記録すれば、
この仮説がただしいかどうかわかる。
でも、それほどすぐれた曲だったら、
無名のわたしにプレゼントするよりも、
つくったひとがさっさとうたってしまうだろうから、
永遠にこの仮説のただしさは証明されない。

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posted by カルピス at 22:17 | Comment(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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