2018年05月05日

「はじめてのチュー」が耳からはなれない

「はじめてのチュー」(あんしんパパ)をきく。
赤い公園の津野米咲さんが、ラジオ番組でとりあげていた。

いろんなひとがカバーしているそうで、
そのなかから津野さんはあえてオリジナルの
あんしんパパによるバージョンをえらんでくれた。
いい歌だ。
はじめてきいてから3日たつのに、
あんしんパパの声が耳からはなれない。
なにをいってるのかわからないけど、
クスクスわらってるのがいいかんじ。
なにをいってるのかわからないのに、
「いいかんじ」って、どういうことかとおもう。
わたしは日本の歌に、英語をまざるのを
ふだんはとてもきらうのに、
この曲は、ポヨポヨした雰囲気にごまかされ、
そもそも英語とはとてもおもえなかったので、
すっかり安心してうけいれてしまった。
はじめからおわりまで、不思議なムードにつつまれている。
こんな歌がうたわれていたら、世界は平和でいられるのに。
トランプ氏なんかより、この曲こそノーベル平和賞にふさわしい。
イマジンのあとで、「はじめてのチュー」をうたおう。

連休といえば、5月2日は忌野清志郎の命日にあたる。
2009年に亡くなったので、もう9年たつわけだ。
わたしはあと1年で、清志郎が亡くなった年齢になる。
すこしまえの記事にもかいたけど、
もうじゅうぶん生きた気がしてるのに、
まだ中年でしかないのは、実感とずいぶんはなれている。
自分のことはともかく、
まわりのひとたちのげんきなようすがすごく不思議だ。
たいしてからだをうごかさなくても、
70くらいまではふつうに生きられるのだろうか。
わたしはへたにトレーニングなんかするから、
つかれはててヘロヘロなのかもしれない。
歳をとったネコは、いちにちのほとんどをねてすごす。
活動よりも休息がながいきの秘訣かも。
種としての役割をおえた哺乳類には、それが自然なのだ、
というと、すごくもっともらしい。

サッカーのカレンダーはとまらない、というのは
業界で有名なはなしだ(ほんとうか?)。
たとえWカップで優勝しようが、
そのかがやきはその場かぎりでおわり、
つぎの試合からは、またかわりばえのしない日常がはじまる。
それでも目のまえの試合に、あるいは数年さきのWカップにむけ、
国やサッカー協会、おおくのサッカーファンが血まなこになる。
なぜそこまでエネルギーをそそげるのかは、だれにもわからない。
ひとの一生も、サッカーとよくにている。
なにがおきても時計はとまらない。
うれしくても かなしくても、生きていくしかない。
だからこそ、「はじめてのチュー」をおおくのひとがもとめるのだ。

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posted by カルピス at 09:35 | Comment(0) | 音楽 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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