ネコの写真がついていた。
コメントは「ヤバそうな猫が現れた」。
ほんとうに、「ヤバそう」がぴったりのつよい視線だ。
はやく戸をあけなさい、あけてごはんをだしなさい、と
このネコはテレパシーをおくっている。
おだやかにみつめているだけのようでいて、
おおくの要求をものがたっている。
部屋にいれ、たべものをあげたら、
もうこのネコからのがれられない。
といっても、ずっと家にいりびたるというのではなく、
自分がそうしたいときだけやってきて、
またこんな視線をおくるだろう。
ネコの目にすいこまれてしまい、
魂をめちゃくちゃにされて、いいようにあやつられる。
かずある動物のなかでも、ネコにしかできない視線だ。
テニスのイタリア国際で、
錦織圭選手がジョコビッチ選手にやぶれ、
同選手に12連敗となった。
最終セットには、相手がサービスエースを奪った判定を主審が一度は取り消しながら、ジョコビッチの抗議で紛糾。「めんどくさくなった」という錦織が相手に得点を譲る一幕もあった。(朝日新聞)
ながい選手生活では、いろんな経験をつむだろうけど、
率直に「めんどくさくなった」と
ふりかえられる試合はそうおおくないだろう。
いいたくてもいえない本音を
サラッとくちにした錦織圭選手にわたしは好感をもった。
じっさい、めんどくさくなったら、どうしようもない。
テニスだけではなく、あらゆる場面で
「めんどくさい」はすべてに優先する。
「めんどくさい」のこまったところは、
論理ではどうしようもないところだ。
「めんどくさい」が頭にうかんだら それでおわり。
すべての条件をおしのけて 最終的な決定となってしまう。
めんどくさくても、やらなければならないことがある、と、
正論をのべるのはかんたんだけど、
そうした論理とはべつのところに「めんどくさい」は存在する。
審判に抗議したジョコビッチ選手は、当然の要求を口にしたまでで、
それにたいし「めんどくさくなった」から、
得点を相手にゆずった錦織選手もまた、
自分がなにをかんじたかを、率直にかたっている。
世界で一流の選手たちは、技のたくみさだけでなく、
精神の自由さと、つよさのレベルにおいても、
別次元にたっしたひとたちだ。
ツイッターにあがった「ヤバそう」なネコと、
「めんどくさくなっ」て相手に得点をあげた錦織選手。
ふたりになにかつながりがあれば、
もっともらしい記事になるけど、いまのところおもいつかない。
両者とも、柔軟な精神状態がきわだっている、という点を
むりやりのまとめとしたい。
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